motoni±0のちから:『まんが訳 酒呑童子絵巻』レビュー |ミズキヒロ

『まんが訳 酒呑童子絵巻』大塚英志監修/山本忠宏編

 この作品は、古典や歴史資料集に載っているあの絵巻物たちを、まんがのコマ割りを使ってだれにでも読めるように翻訳した作品である。
 大半の人にとって絵巻物は、博物館の展示などで目にしても簡単に理解できるものではない。顔はだいたいが「おてもやん」で、よく似た顔の登場人物を誰が誰なのか判別するのがまず難しい。何の場面か理解しようとしても、余白に書かれた文章はミミズのような筆の草書体で、解読不能だ。百歩譲って、その文章が現代語に訳されていても、ふうんと静かに通り過ぎるくらいで終わる。しかし、長い一枚続きの絵が、あのまんがのコマ割の形式になるだけで、不思議とすらすら読めるのだ。しかも、臨場感あふれるワクワク、ドキドキのストーリーとして。

 そもそも、絵巻物のストーリーは長い年月語り継がれブラッシュアップされてきたからこそ、あっと言わせる展開や世界観が、そこにある。しかも、手間をかけて絵巻物にされたくらいの選りすぐりで、楽しくないはずがない。元々、絵巻物は「巻物」とあるように、床に置いて、肩幅ぐらいのスペースに巻物を開き、それを左から右へと巻き取りながら読むのだそうだ。すると、ちょうど紙芝居のように見えていなかった次のシーンが現れる。詞書を読む人がいれば、複数人で絵を囲み、一緒にストーリーを楽しめる。音声を聞きながら、見ている人がそのシーンに合わせて絵を脳内でクローズアップし、臨場感や時の流れを感じて、ストーリーを楽しんだのだ。

 しかし、私たちは絵巻物の文法を知らなくとも、現代まんがの文法を読み解く能力を知らないうちに身に着けている。一見、静かで物言わぬような絵巻物がまんが文法に翻訳されたこの本を開けば、すぐにそのストーリーの魅力に引き込まれるだろう。
 収録作品は、酒呑童子絵巻、道成寺縁起、土蜘蛛草子の3作だ。酒呑童子はいわゆる鬼退治もので、都で貴族の娘が続々と攫われ食われるのに困り、あの安倍晴明の託宣によって、カリスマ武士の源頼光が帝から勅命を賜るところから始まる。鬼の棲み処へと山越え谷越え向かう中で、ドラマティックな展開あり、グロい展開ありの、手に汗握る作品だ。2つ目の道成寺縁起は、寺の由来として幾つかの時代の異なる話からなり、古典などで有名な「安珍と清姫」も含まれている。女の情念と不甲斐ないイケメンのハラハラドキドキの泥沼劇などが楽しめる。そして3つ目の土蜘蛛草子は、妖怪魑魅魍魎の類に遭遇する源頼光とその腹心の渡辺綱の不思議な話である。

 こうした話の面白さと、そのアイデアの画期的さだけが、この本の特筆すべき点ではない。
 実際の制作作業(構成)をしたのは、大学のゼミでまんがを学ぶ学生と助手の3~7人からなるグループなのだそうだ。はじめはそうと知らずに作品を楽しみ、巻末の解説を読んでびっくりするくらい、何も知らなくても、まんが自体がとても楽しい。
 この学生グループのゼミの先生であり、編者として名を連ねる山本忠宏さんの巻末解説では、絵巻物からまんがに翻訳する実際のプロセスが明らかにされる。コマ割りやページめくりの効果などのまんがの紙面構成原理や、翻訳編集するうえで注意した点の話も興味深い。
 このように、まんがを学ぶ学生チームが、ゼミの先生の指導の下絵巻物をまんがにした本であり、かつて絵巻物は巻き取りながら場面転換する絵を、朗読を聞きながら紙芝居のように臨場感たっぷりに読まれていたと聞くと、まんがの起源は絵巻物にあるのだと思ってしまいがちだ。しかし、この勘違いを明確かつ完全に否定するのが、この本の企画監修者である大塚英志さんである。いわずと知れた批評家で漫画原作も多数書いている氏の解説もこの本の見どころの一つで、そのタイトルもずばり、「まんが・アニメの起源は何故、絵巻物ではないのか」という論である。

 具体的には、まんがの起源が絵巻物だと誤解される時の主な2つの説を検討している。それは「①キャラクターの作画法、②絵と物語が連動した演出法」だ。キャラクターの作画法は、全く似ておらず単なる印象論であると一刀両断。他方で、②の絵と物語の連動した演出については、連関があると丁寧に解説されている。たとえば、映画黎明期に日本に輸入された映画の編集理論である「モンタージュ論」。これは、全く異なる何かと何かを結びつけることで新たな意味を産む考え方だ。1920年代のソビエト映画由来のこの理論は、様々な文化を分析することを流行らせたが、それは日本も例外ではなかった。大塚氏はこのモンタージュ論的演出方法が日本で初めて作られた日本の長編アニメーション作品『桃太郎 海の神兵』に応用され、それを看破した手塚治虫によりそのモンタージュ理論がまんがに導入され今に至るという成立過程を解きほぐしている。絵巻物を、映画的方法=モンタージュ理論=まんが的方法を使って理解し、それをまんがの形式で表現したのがこの作品であるという。
 この本に書かれているまんがの中の説明やせりふは、すべて絵巻物の現代語訳から抜粋されたものであり、構成した学生たち自身の言葉や絵は、ほぼ、無い。しかし、主人公源頼光の気持ちの高ぶりに一緒に盛り上がったり、鬼退治のマル秘グッズを最高のタイミングで授けてくれる謎のおじいさんたち、思わず唸らされてしまう伏線回収など、起伏のある超展開を、単なるコマ割りとその再配置を通して演出した作者たちは、非常に雄弁だ。現代では気軽に読まれることのない絵巻物が、まんが訳によってこれほどまでに躍動感あふれることを実感する。まさか、何も付け足さないことが、これほどまでの意味をもつとは。
 モンタージュする意図が濫用されれば、本来の趣旨とは異なった編集にもなる。情報があふれる現代では毎日のように目にすることだ。しかし本作品は、絵巻物という形式の特性と、まんがという形式の特性との間の2つの齟齬を十分認識しつつ、それを活かすように編集翻訳された労作である。その結果、これは、2つのシステムの繊細な境界線上に立ち、絵巻物であって同時にまんがでもあるような作品となっている。

 読者に絵巻物に描かれる内容の面白さや超展開をより饒舌に伝え、さらに、まんがというシステムが、臨場感や感情を大きく増幅させる魔法のような力を持っていることまでも伝える。古典の力、まんがの力を、感じて知ることができる画期的な一冊である。

(了)

※このエッセイは、PLANETS Schoolで2020年7月に開催した「レビュー添削講座」への応募作品です。

PLANETS Schoolとは、評論家・PLANETS編集長の宇野常寛がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座です。現在、9/10に開催する「ショートエッセイ添削講座」への応募作品の募集を8/28(金)まで行っています。ぜひ、チャレンジしてみてください!
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