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日常生活を飛び越えるサンダル | 佐次安一

ワラーチというサンダルがある。

ワラーチは、メキシコ北西部の先住民族タラウマラ族が日常生活で使用している手製のサンダルだ。タラウマラ族は、自らを「走る民族」=ララムリと呼ぶほどに長時間の走力に長けており、その一族の強者と、超長距離を走るウルトラランナーのチャンピオンがメキシコの荒涼とした山域で競り合うレースを描いた、クリストファー・マクドゥーガルのベストセラー「BORN TO RUN」をきっかけに広く知られるようになった。そして、「BORN TO RUN」のサブテーマである、「人間の身体にとって正しいランニングフォームとは何か?」ということをめぐって、タラウマラ族の履くワラーチも注目されるようになったのだった。
タラウマラ族は、ワラーチを古タイヤと革紐で作り、結わえ方は違うが、日本のワラジと同じように足に固定して使う。当然、クッション性はないので、ワラーチで走るためには、自然と人間の足が備えている衝撃吸収機能、すなわち、爪先着地を活用するようになる。ワラーチが示したランニングフォームは、かかと着地が当たり前だった現代のランニングフォームに対して、爪先着地の方が足の故障が少ないというアンチテーゼが与えられるきっかけになり、多くのランナーの走り方を変えたとも言われる。
「BORN TO RUN」のドラマティックなストーリーと、その主役たちが履くミステリアスなサンダルに関心を掻き立てられる人は多いのだろう。”ワラーチ”でググると、長距離走を好むストイック系なランナーたちの、色々な自作事例や、ワラーチを履いてレースに出たとかウルトラマラソンを走ったといった記事がたくさん出てくる。

僕は決してストイックでも、長距離ランナーでもないが、事例を見てると簡単に作れそうだったのでワラーチを自作してみた。
作例は色々だが、基本的なつくりは同じで、材料は東急ハンズで揃えることができる。路面と接するアウトソール(底材)は、登山靴のソールで有名なビブラム社のゴム板を使い、3ミリ厚程度のウェットスーツ生地などをインソールとして接着剤で貼り合わせて作る。それを自分の足型にカットし、親指と人差し指の股、外くるぶし、内くるぶしの3箇所に穴を開け、一本の紐を順番に通してソールを足に結えつける。
つくりがシンプルな分、フィッティングを追求する中では個性があらわれる。足首に巻きつけて固定してみたり、様々な種類の紐で試したりと、様々なトライ&エラーが行われていて面白い。僕はベーシックバージョンと言われる、和装などに使われる真田紐を使ってみたが、これも一重織とか二重織とかの種類がある。一重の方が価格が手ごろなので最初に試してみたところ、ちょっと頼りない感じだったので、二重の紐に代えてみたら、締まり具合ががっしりしていて僕にはこちらが好みだった。こういった細かな調整や工夫のしがいこそが自作の醍醐味なので、そういった点でみるとワラーチはなかなか奥が深いといえるだろう。

こだわって自作した僕のワラーチだったが、実は、履くたびの紐の調整が億劫になってしまい、最近まで玄関の靴箱の中でひっそりと眠っていた。走る度に、気持ちを入れながら紐を結わえるのも良いのだが、悲しいかな、忙しない日常生活の中では、ちょっとした手間が面倒になってしまったのだ。
そんな、タンスの肥やしと化していたワラーチだったが、新型コロナの外出自粛で日常的に散歩するようになったのをきっかけに、もう一度引っ張り出して使えないだろうか、とふと思ったのだった。紐の代わりにナイロンテープを使う作例を見つけ、簡単に固定できるように改造したところ、格段に扱いやすくなった。[※1]ランニング用としてはフィッティングが物足りないかもしれないが、散歩用なら全く問題なく、日常的に使いやすいサンダルとして復活することとなった。

しばらく続けて使ってみると、サンダルとしてのワラーチの個性と特徴が見えてくる。
何よりも魅力なのは、足の指の開放感。その気持ち良さは特筆に値する。
ワラーチの場合、いわゆる鼻緒は1本で、親指と人差し指の股から足の甲に向けて伸び、その後は、内側のくるぶし、かかと、外側のくるぶしへと紐をかけて足にソールを固定していく。履いてみると、親指の下の母趾球から土踏まずのアーチの稜線部分、そしてかかとにかけて、一本のラインでソールに接しているように感じる。鼻緒が2本ある草履が指を中心とした足の前半分で固定しているのに対し、鼻緒が1本しかないワラーチは、鼻緒による固定は不安定だが、足の甲とかかとに固定の役割を分散している。足の後ろ半分でソールが固定されている分、足の前半分の自由度が高くなるのだ。
この、足とサンダル(ソール)の固定方法の違いが、独特の開放感、気持ち良さをもたらしている。
開放感の高い履物の代表というと、ビーサン(ビーチサンダル)だが、歩いているとすぐに脱げてしまう。もちろん、そんなルーズなところがビーサンの魅力なのだが、近距離専門で、チルな時間でこそ威力を発揮するのだ。
一方、ワラーチの開放感は、ビーサンのそれとは違う。足の前半分を中心に開放感はあるものの、甲とかかとの固定はしっかりしている。前半分がズレることはあるが歩いていても、脱げないし、中〜長距離、未舗装路にも対応できる。
この開放感がありつつ使える範囲の広いところが、ワラーチの最大の強みだ。
走る人は走れる、走らない人は散歩に買い物に、と目的を選ばない守備範囲の広さ。そして、一見すると頼りなさそうなのに、実は相当使える愛されキャラ。
プレミアリーグ・チェルシーFCのエンゴロ・カンテみたいなサンダルだ。

開放感という点では、自作したサンダルで日々を過ごすという行為も、また、違う角度からの開放感を感じさせてくれるのではないだろうか。
僕たちは日常生活をおくる上で必要なものは、ほとんどお金を出して手に入れている。お金を媒介にモノを得たほうが時間と手間を省けるし、プロダクトとしては良いものかもしれない。しかし、細かな工夫と調整をしながら、自分にフィットさせていったものを身につけ、暮らすことで得られる開放感。完成品を買う、という日常では当たり前の常識から、少しズレることで感じることができる自由さ。
何かと縛られがちな毎日にあって、こういった感覚は貴重だ。
タラウマラ族の走る力や存在は僕たちの常識を超えていて、「BORN TO RUN」で描かれている姿は痛快そのものだ。そんな、彼らのワラーチを、今の僕たちの常識的で標準的な日常生活に落とし込んでみると、僕たちも少しだけ痛快な体験ができる。
もうしばらく、行動に気を使う窮屈な日々が続きそうだけれど、そんな中でも自由を感じることができるサンダル、ワラーチ。東急ハンズでたったの3000円。それだけで窮屈な日常生活を少しだけ飛び越える足を持つことができるのだ。

(了)

※このエッセイは、PLANETS Schoolで2020年7月に開催した「レビュー添削講座」への応募作品です。

※1:ナイロンテープの改造は、jackieboy氏のブログ「blues after hours」を参考にした。
PLANETS Schoolとは、評論家・PLANETS編集長の宇野常寛がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座です。現在、9/10に開催する「ショートエッセイ添削講座」への応募作品の募集を8/28(金)まで行っています。ぜひ、チャレンジしてみてください!
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