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家族類型と自分の家族の話

エマニュエル・トッドの「世界の多様性」を読み始めた。もともとは米中関係、アジア情勢の勉強会に出たときにある人が「エマニュエル・トッドの分類は正しかったのかもしれない」みたいな話をしていて興味を持ったからである。簡単にいえばある国(や社会)の政治形態やイデオロギーを決めるのは家族類型が土台にある。イデオロギーや、その結晶たる法律が家族形態を決めるのではなくむしろ家族形態が前提となってイデオロギーを決めるのだ。因果関係が逆であり、家族類型は重要な社会定義要素である、みたいな話。たとえば西欧自由主義、リベラリズムというのは英米の核家族的社会にはなじむが、共同体的家族にはなじまない、そのまま社会制度を輸入しようとしても無理がある。みたいな。

で、面白いなと思って読み始めたところなのだが、これは自分の家族にも当てはまるなぁと思った。私と妻の関係である。私は平等主義的核家族であり、妻は共同体家族である。分類でいえば2軸あり、今のところ4つの類型がある(まだ読み始めたばかりだから。最終的には7つ出て来るらしいが)。

2軸は「自由」と「平等」である。自由と言うのは親(特に父親)と同居するかどうか。親の権威が強いか。自由が高い=親と別居する=核家族型であり、自由が低い=親と同居する(二世帯同居)=権威主義型となる。平等は兄弟間の相続が平等であるかそうでないか。長男や嫡子だけに財産の多くを渡す、たとえば戦国武将のような相続形態。これは家長(一般的には父親)に相続を決める権利がある。つまり不平等。兄弟には均等に与える、というのは平等型。日本の民法は法定相続分があるからある程度平等だが、そもそもは嫡子に多く与える価値観だから不平等である。

で、この自由×平等の二軸で見ると

1.自由主義で不平等主義 = 絶対核家族

2.自由主義で平等主義 = 平等主義家族

3.権威主義で不平等主義 = 権威主義家族

4.権威主義で平等主義 = 共同体家族

の4類型(定義の名前はエマニュエル・トッドに準拠)になる。で、私は一人っ子であるので平等か不平等か、兄弟間の平等性は検証できないのであるが両親とも兄弟があり相続における兄弟間の平等性には意識的だったので、平等主義ではあるだろう。私自身、一人っ子ではあるが親から「遺産は相続させない」という脅しを本格的に受けたこともない(これを受けることがあるから自由主義で不平等主義だと世代間の独立が強まり「絶対的核家族」になる)。自由については、祖父が嫡子ではなかったので早々に分家し、父も転勤族だったのでそもそも同居の発想がなく核家族的思考であった。なので私は自由×平等=平等主義家族である。妻は別居こそしているものの家長(父親)の力が強い家庭で育ち、妻の父は母(つまり妻の祖母)と同居していた。世代間同居をする価値観の家庭であり、とはいえ妻は姉妹がおり、その間での相続の平等性は生前分与などで意識している節があるので、権威×平等=共同体家族と言える。

こうした家族内の家族類型の違いが人生観、家族間、イデオロギーに影響を与えている、というのは面白い視点だと思った。というのも、妻の実家にいくといろいろとカルチャーショックがあったのだが、それは地域性とかそういうことではなくつまるところ家族類型の違いなのだろうと思う。

とりあえず読み始めたばかりなのでまた読み進んでいくうちに新たな発見があるだろう。こうした家族類型の違いがどのようにコミュニケーションや関係性、あるいは人間関係の相性に影響を与えているか(同じ類型の持ち主が話が合うとか惹かれ合うとは限らない、そもそも互いにないものを求めるのが人間の側面でもある)あたりを考えてみたいと思う。

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