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闇は、トモダチ。

まだ、ソロキャンプが今ほどメジャーではなかった頃、自然の中で一晩過ごす体験をしたことがあります。
そう、あれは2013年の春のこと。当時もさまざまな出来事が起こり、その激流に飲み込まれる中で「いったい何が起きているんだ?」と深く内面に問いかけていました。そのときに引いたオラクルカードで、ビジョンクエストが示されたのです。
“自然の中に答えがある”。そう感じた私は、山や森など自然の中で過ごす時間を作ろうと思っていました。
いつかゆっくりと時間を作って……なんて考えながらも延び延びになっていたときに、「Being SOLO 〜高尾ナイトウォーク&ソロ ビバーク〜」イベントの案内が届いたのです。その案内文に目が留まりました。

「暗闇」「一人の時間」をキーワードに、自然や自分自身の内面と、静かに向き合う時間をご提供します。

これはもう、渡りに舟。じっくり考えてから……と最初は思いましたが、それでタイミングを逃したら元も子もありません。このチャンスをつかむなら今しかない!とばかりに、直感に従って申し込みをしたのです。
やはり、その直感は正しかった。高尾山で過ごした時間は、とても多くの気づきと示唆をもたらしてくれました。

6月の頭に行われたナイトウォークの待ち合わせは18時。これから徐々に暗くなっていくのを見計らって、ビバーク地点へと移動します。その道案内としてガイドをしてくださったのは、高尾山の自然を守るNGO団体「虔十の会」の坂田昌子さん。
坂田さんからは、高尾山の自然について、生物の多様性や地層構造による豊かな水脈の解説をしていただきました。何でも「イギリス一国分に相当する1300種類もの植物が、この高尾山では見られる」のだとか。そして、雨水が地中深くに染み込んで濾過されて湧き水となるまでに、一般的には20年くらいかかるところを、高尾山では15年という早いサイクルで循環しているそうです。

中央高速道の下を通り、舗装された道から砂利道へと変わり、間もなく森の中に入るという手前で、坂田さんは足を止めて説明を始めました。そこにあったのは、1本のクルミの木(ウォールナットですね)。
この辺はクルミの木が多く自生していたそうです。ところがお役所の方針で全部切られてしまいました。そして、“自然保護”という名目で、今は別の木が植林されている状態なのだそうです。
また、先程通ってきた中央道の建設によって動物の往来ができなくなったため、動物が媒介していた植物の種の移動も失われてしまったとか。
さらに高尾山の地下には圏央道建設のためにトンネルが掘られてしまいました。それによって地下の水の道が途切れてしまったのだとすれば、潤っていた土地もこれから次第に水が涸れることとなり、土地が乾いていく……というのです。
そうやって植生が変わり、生態系のバランスが徐々に、そして深刻に破壊されていくのですね。すべては、私たち人間が手を下した結果なのです。

坂田さんの話に耳を傾けながら、私は大鹿村のことを考えていました。リニア新幹線は、大鹿村の地下をトンネルが通るルートになっています。
「この工事はおそらく私の生涯と共にあるでしょう」と書かれた、大鹿村でお世話になっている方からのメールからは、かけがえのない故郷が傷ついてしまうという絶望感と同時に、生涯をかけて見届けるという揺らがない信念というか覚悟のようなものを感じたのです。
この美しい自然を守りたい。純粋な思いに突き動かされて行動している人に触れると、強く感化されます。自分は何ができるのだろう?……そう考えると、やっぱり私は私のフィールドの中で、できることをやっていきたいと思えるのです。

そんなふうに興味深いお話を伺いながら、私は心の中で思いを馳せつつ、ゆっくりと時間をかけて歩いていきます。そうすると、徐々に夜の帳が降りてきました。
「顔の判別が困難になりましたね」そう坂田さんはおっしゃいましたが、私の印象は違ったものでした。
本来なら眼鏡をかけないと細かなところまでは見えない私ですが、大抵は裸眼で過ごしています。もともと曖昧な世界認識でいたからでしょうか、夜の闇が視野をぼやけさせているといった感じは受けませんでした。
それどころか、わずかな光で浮き上がる夜の森は、むしろ明るくはっきりと見えるような気がしたのです。背の高い樹木に囲まれていても、照葉樹は微細な光をきちんと受け止めて、行灯のような優しい光を放っていました。
夜の森が織りなす幻想的な世界は、私を魅了していきました。

川縁に背を向けて立ち、手を両耳に当てて背後の音だけを集めると、豊かな音の世界が広がっていきます。普段はほとんど気にしていない音や光、匂いに意識を向けると、それだけで感度が高まっていくのです。
また、坂田さんの提案で、一人ずつ闇の色濃い茂みの中に入ることになりました。濃い色の服を着た人は、茂みの中に数歩入っただけで、その人の存在が外からはまったくわからなくなってしまいます。ところが白い服を来ていると、茂みの中に分け入って隠れようとしても、なかなか隠れられない。
同様に、茂みの中に隠れた状態で開けた場所を見ると、参加者の様子が一目瞭然ということがわかります。つまり、こうやって動物達は茂みに隠れて、私たち人間の様子を見ているわけですね。

「闇は怖いもの」。そんなふうに思っていましたが、夜の気配が色濃くなっていく中に身を置いてみたら、闇にもグラデーションがあり、実は思っていた以上に明るいのだということに気づきました。
そして、不思議と懐かしいような感覚にも陥ったのです。思い返してみると、小学生の頃は、晩秋の季節に日が落ちて暗くなった夜道を、毎日独りで歩いて帰宅していたのでした。そういえば、私にとって闇は親しい友達のようなものだったのです。
そして、その気づきは、心の闇に対する認識も変えていきました。光の視点から闇を見ようとするから、真っ暗で何も見えずに恐怖や不安が駆り立てられるのです。
ゆっくりと時間をかけて目を慣らし、心の闇の中に降りてゆくのだとしたら、もしかしたら暗闇と思っていた場所には、豊かで幻想的な世界が広がっているのかもしれませんね。

いただいたサポートは、人々や地球の癒しと成長に貢献する人やモノ・グループへと循環させてゆきます。ひとしずくの水が大海へと繋がっていくように、豊かさのエネルギーをここから世界のすみずみにめぐりめぐらせていくためのファースト・ステップに選んでくださるのだとしたら、大変光栄です💫