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店屋物の誘惑 鎌倉の子供

昔は、デリバリーなどと呼ばず、出前と呼んだ。出前を総称したフード全般を店屋物と称して、黒電話から注文をしたのを覚えている。
その、黒電話も、ダイヤルがプラスティック製のものから、ブラスの様な金属製のもの、黒い塗装が摩擦により剥離した後に覗く、なんとも言えない地金の風合い、ダイヤルが戻る時の、以外に遅いじれったさも、生活の香りだった。
鎌倉、大町界隈の店屋物といえば、真っ先に思い出すのが、浅羽屋の うなぎ や 仕出しの弁当の数々。まあ、これは店屋物というより、仕出しではあるけれど。後は、永楽飯店の中華。変わり種では、当日、七里ガ浜にあった、スパゲティのデリバリーも懐かしい。ちなみに、これらは、昭和40年代のこと。さらに、大衆的なものとなれば、東京亭につきる、ここぞ、強烈な、店屋物ワールドだった。
今あんのか? と疑問を持ったので、軽くググる! あるあるまだある 出会った。
#東京亭 何がすごいか。 ここの凄さはこうだ、
カタ焼きそばがうまい、五目そばがうまい、美味い、これはまさに町中華なんだ、けど、ここにはざる蕎麦がある、カレーうどんがある、鍋焼きが美味い、真面目に美味い、これぞ、あの蕎麦屋のケンちゃんの様だ。さらに、天丼が美味い。天ぷら屋の天丼ではない、蕎麦屋の天丼だ、エビ天が美味いのだ。当時は、カブだかメイトだかに、特殊な機材と、そう、オカモチを吊るして、持ってきてくれる。到着するバイクを止める音から一連の流れ
ブー、キキ、カシャカシャ トコトコ 東京亭でーーーーい! という、この感じである。
勝手口を開けて、そこに、オカモチが、おかれ、アルマイトか ジュラルミンか、オカモチの外ブタを引き抜くと、中は数段に分かれて、そこには、皿が丼が、並ぶ。
それ、1つ1つ取り出して床に並ぶ。
これを、食卓に運んで食べる醍醐味。
まさに、昭和の食生活だ。

旧鎌倉の店屋物事情

ここは大町 小町は小町でまた違う店が
裏駅は裏駅でまた異なる
例えば、宝亭とか 宝亭の娘さんは同級生だった
加藤食堂も同級生なはず 巴ずしも同級生
いろはやコメ店も同級生 魚七さんなんか、初めてプロ野球に連れてってもらったのは、ここのお父様、息子が同級生。
あの試合で、 #川崎球場 #阪神タイガース #佐野選手 自らフエン直にてグランド内に救急車。
ちなみに、魚七 さんの鯵は絶品でしたよ。鐙摺から船を出して貰った、商店会の釣り、4キロのタイを釣り上げた時も、親父さんに
お作りにしてもらったなぁ
元気かなあ。

そう言えば、学生時代に商店会のゴルフでご一緒させていただいた、方々、コロナの話題でテレビ出てたなあ

話題が飛んでごめんなさい

今回は 店屋物のことでした。

画像は、とある駅のフードコートのカツ丼でした

カツが何より好きな僕

下の本には、鎌倉の大好きなとんかつ屋が出ていました・・





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