見出し画像

Anything else?

#コロナの時代  メディアがそんな風に表現していた。 少しだけ、怖くなった。 何が? コロナの時代だ そんな歓迎されない時代を俯瞰してどうするのだろう。 これが、正直な気持ちだった。

なぜなら、コロナの感染が拡大して、日々の生活がままならなくなった人々。絶対数が、どの程度おられて、どの程度生活が困窮しているのか、そんなメディアの報道は無く、深刻だ、もはや待ったなしだとは言いながら、CM1本開ければ、アイドルネタでニコニコしている。連日、夕刻になると、都内の感染者は、という人数報告はあるが、中身は空だ。情報を公開し、自由が保障されて、高度に法治国家として機能している。どこかに弊社された共産国とは違って、幸せなんですよ皆さん、と言わんばかり。 けれど、よく振り返ってみたら、欲しい情報を得ているだろうか、すごそこにある現実を知っているだろうか?

老舗の飲食店が暖簾を下す、懐かしい味を最後にと、大勢の人々が行列を作る。店主が寂しげな笑顔で幸せだったと言う。 日本の報道の手法だ。  コロナの影響だろうか、後継者の居ない現実にコロナが複合的に作用しての結論か、それとも、全く別の何かか。 私たちは、一人の飲食店経営者の心打ちに入る資格もなければ、それを知りたいと思うことも憚られる。けれど、多くの生業飲食店が経営の存続が出来ず、メディアに取り上げられることもなく、姿を消す、その状態が、今 日本全国で起きているのならば、この事実は、私たちは知るべきだろうし、行政だけが掴んでいても、それは無意味だ。なぜなら、彼らは手を差し伸べはしないのだから。手が差し伸べられるきっかけは、役所ではなく世論なのだかから。メディアも、権力に良しと思われない世論の誘導は出来ないのだろう。

でも、それで良いのか?

苦境に立った、人々がどの程度いるのか、フードバンクが頼りの人々が少なからずいるのか? 一方で、給付金で、ゴルフクラブを買おうと、ゴルフショップに押し掛ける消費者も現実問題いる。何が必要な支援なのか、何が公平な政治なのか。判断は、 人それぞれでもかまわない。

けれど、今 とても必要なのは、考えるべき材料の偽りと隠ぺいの無い提供と、他人事と排除する、無関心の払拭なのではないかと。

土曜日 週末の 朝に 考えた

そう 今、自分でも気づけていない Anything els がある気がしてならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?