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平成のコストカット経営を、頭から否定すると商いの中身が見えてくる

※これ素人が勝手に書いていますので、流通形態やシステムなど、誤記載があれば、前もってお詫びします。
★カバー画像は大好きなお店のもので、記事とは無関係です。

前段


私は、確実に、日本の飲食産業に #アップスケールマーケット  が定着し、このマーケットは急速に拡大すると仮説を上げます。そして、このアップスケールマーケットの主役は、今いる富裕層ではなく、これから生まれてくる、新たな消費者層がその中核です。その層は、安さより、満足を求めます。けれど、値段が高ければ、品質も高いという層でもなく、ものが見え、ものが解る層に成長します。 #適正な本物志向層  です。
なので、厳密に言えば、団塊世代に向けたものや、米国ベビーブーマーに向けて、一時期もてはやされたそれとは、根本的に異なる、 いわば #neoアップスケールマーケット  と言えます。

和食の素晴らしさは何処にあるか ? 私は常日頃
それは、食材と料理人だと考えています。

いかに美味しい料理をお客様に出せるか ということなんですよね。
だから、料理人さんは、食材を見極める目と、料理の腕を極限まで鍛えれば良い、そのためには、味だけではなく、空気を作る能力が必要です。それは、とても難しいで、これを極める単には、飲食店経営に神経など使えない程だと考えます。
それゆえ、極端な言い方をすれば、料理人は、出来れば経営者にはならない方がいいと思うのです。料理と店の経営は絶対に分けた方がいい、なぜかそう思います。料理を出すことに集中していただきたい というか、仕入れコスト、値付け、利益 それらを考えないと経営者はできません。が、これらを考えるとどうしても、やりたい仕事と、出した伊料理が異なってしまいます。
ジレンマですが、使いたい食材を使わせない経営者の下では働けない、これは一長一短でもありますが・・ 本当に飲食店を成功させるられる経営者は、決して、料理人とのコミュニケーションを疎かにしないし、まして、そこに上下関係を強要しないことが求められます。
つまり、これからの飲食業界の経営者で、かつ高い付加価値を有する、飲食店経営者はには、今まで崇拝されてきた経営手腕がは必要なく、まるで違い着眼点を持った経営者が生まれてくると断言します。

それでは、具体的に話を進めます。

中間コストを支払う価値を知る


Q:食材(今回は鮮魚)を仕入れる上で、最も需要なものは何でしょう。下記の語群より最も正解と思われるものを選べ。(複数回答不可)
  ① 魚の良し悪しを見極める知識に裏打ちされた目
  ② 天才的な味覚
  ③ 謙虚なひたむきさ
  ④ ひとたらし

はいどれを選ばれましたか?

私の答えは、④ #ひとたらし  です。
知識、それが経験に裏打ちされていようが、天才的な味覚を持っていようが、仕入れは、プロとプロの世界の葛藤ですから、思い通りになんか事は進みません。ひたすら、謙虚でひたむきで接しても、相手がそれを、快いと感じる保証はありません。仕入れは、契約ですから、かけ引きも、タイミングもあります。自分一人で熱くなってもダメな世界です。ここは、味方になってほしい人を、確実に味方についてもらうことです。これができれば、課題の半分以上は解決します。なので、必要な誰かに助けてもらえばいいのです。必要な能力はおのずと決まります。それは、船丸ごと買いでもなければ、市場を通さない仕入れでもなく、飲食店ならば、信頼ある仲買さんからきちんと仕入れるのが良いのです。最近では、仲買を通さないとか、市場を通さず、船から直買いとか、もろもろ言われますが、大規模消費の大型チェーンならこれはアリなのかもしれません。一方で、今回、飲食業が変化している分野としての、アップスケールマーケット向けのビジネスでは、私は、昔ながらの流通ルートこそが、勝敗を決めると考えます。旧来の日本の飲食業のシステムを守っていけば、失われたものが戻ってきて。この恩恵を最大限受けるのは、消費者です。
鮮魚で言えば、生産者がいて、市場があり、仲買があり、飲食店があり、小売りがあり、消費者の口に入ります。中間手数料を省くことで、コストを抑えて安く販売できる。それは、確かに理屈です。けれど、この国の過去20数年にわたる常識として、安いことは良いことだとした結果、どうなりましたか? そう、安いことを目指した結果、賃金まで安いままになったわけです。中間マージンを抑えて、安く販売した結果、賃金も低迷するのなら、中間コストもかけて、給料も潤沢に伸びて、高くても買う事ができる生活であるのなら、中間コストの削減が、一私企業の勝ち負けには直結しても、全体最適に貢献しないのであれば、考えるべきなんです。
かかるコストをカットすることで、かかるコストに付随する付加価値が排除されると言う考え方はどうでしょう。仲買業者さんを通すことで、商品の信頼性が格段に上がります。なぜなら、彼らは、プロの目で商品を吟味し、彼らを通すことで、商品に信頼が付与してくれます。この信頼こそが、彼らの誇りであり、彼らの存在価値なのです。だから、みだりに、これを否定して中間コストを切り捨てることが、正義かのような表現は、時として大きな落とし穴を見過ごすことになる、私はそう考えます。前出のとおり、私は料理人は経営者で無い方がいいと書きました。逆もまた真で、経営者は料理人である必要はありません。けれど、経営者は、経営のプロである必要があります。なので、自分自身の専門分野以外を保管するために支払うコストは、カットすべきコストではないと言うのが私の考えです。コストカッター、中間コストの見直しと言う、ひと昔前のビジネススクールの教えなど、もはや通用しません、良いものを消費者に確実にそれなりの価格で提供するという、アップスケールのマーケットにおいては、デフレ志向の経営など、なんの役にも立たないと考えるべきです。
これは、ある意味で、物売る産業が成熟して、価値売る産業に変革する中では、既存の理論が通用しないことを意味し、同時に、きわめて流動的かつ不確実な要素こそが、ビジネスの要になることを意味します。

新次元に向かった経営は、タイムマシンで遡る

かつて、曖昧な要素を排除することで合理的な経営が生まれた。曖昧なものは、きわめて危険かつ、予測しきれない。スパコンで高度な計算が可能になったからこそ、曖昧とされた事が、見えてきた? そういうことを指しているのではありません。曖昧なものを、技術で合理的に可視化するみたいな、取り組みが仮に出来たとしても、それは、ここでは何も意味を持たず、さらに、曖昧さを受け入れなければ、次の次元に進めません。これからは、曖昧なものの存在をきちんと受け入れて、曖昧だけれども、役立てる、曖昧だけれども無視できない。と考える経営です。

曖昧なものとは、”人は裏切る” ”人の感情” ”損得” など、人間に関するものは、常に曖昧で保証はありません。多額の報酬でも、それを上回る条件の下では無力です。 顧客の #味覚への志向  もまたコントロールの外です。だから、料理人は時に、客の残した料理に注力するのも当然です。けれども、さらに言えば、経営者は、パートナーである料理人に気を使い、料理もまた同じです。これは、食うか食われるかのビジネスのシーンでは、日々繰り返される葛藤です。
でも、過去の日本では、この曖昧さと無縁の社会が展開していたのです。
それは、経営者も使用人も、そして家族も #一心同体  、 #運命共同体  これに疑問も持たず、ひたむきに目的のために力を合わせた。戦後の日本の成長もこれによるところが大きいのです。アメリカのビジネススクールの教えとは、まるで異なる要素が、そこにはあります。約束も裏付けも契約もない、曖昧な共同体が、裏付けも、契約も、約束もして、総てがドライで合理的に組み合わさったビジネスと、競合の中で勝ち残る、これは、良し悪しは別にして、事実として達成された現実です。
旧来の日本のビジネスは、なんと曖昧さを克服できる要素があった、それが、信頼という目に見えないものだった。その信頼を壊したのが、ドライで合理的な経営だとしたら、さらに、ドライで合理的で曖昧さの管理も克服も出来ない経営だとしたら、そんなものを有難がる理由はもはや無い。私はそう強く思うのです。次の次元とは、葬られた、よき日本のビジネスから、蘇らせる価値のあるものは取り戻し、そのうえで、更に進化させるべきだと思うのです。なぜなら、このneoアップスケールマーケットの展開は、日本ドメスチックの経営展開なのですから。海外で、展開する視野はありません。

これだけじゃない曖昧な日本の美徳 

日本、特に漁業分野を見ると、実に面白い。
日本は、結果として資源保護がなされる。
目的のためなら手段を選ばい、という弱肉強食の漁師の世界、けれど現実には目的のためとはいえ、手段は選ぶし、皆と決める、話し合う、さらに、基本的に輪を重んじる。さらに言えば、この輪が,けっこう柔軟な輪になる。同じ港の魚種ごとの輪や、漁港単位の輪、漁協単位の輪、自治体の単位の漁師の輪、からエリアの輪、など輪が結構柔軟、資源が枯渇しないことには、きちんと配慮、学術的な縛りでガチガチではなく、曖昧だけれど、種は保存されている。結果バランスが良い。養殖だって、技術、知識、成功例は、わりと平気で共有されているし、特許権の侵害とか、争いも少ない。ブランディングは結果として出来ちゃってたりする。 曖昧に仲良く、けれど、ちゃんと、なんとかできちゃう。これも、大声で誇れないけれど、美徳に違いないといえる。最高の1本を釣り上げた祝いに、マグロ漁師が、スパーの握り寿司買ってきて、晩酌で祝杯する。500円の握り寿司に「「美味い」
何とも微笑ましい。これで良いんだ、こんな人たちが、日本の底力。
魚が採れれば笑顔、採れなくても、当たるのではなく、散らすわけもない、心の中が荒れていても、ぐっとこらえて苦笑い。金に任せた設備投資はしないけれど、何もしない訳じゃない、身の程に少しだけゲタ履いて勝負する。愚かと利口の分類では測れない魅力ああある人の生き方 こんな人たちが支える、1次産業が地球にやさしいのかもしれない。

日本の良さは、日本だからの 強味
海外にかぶれて、失われた30年 そろそろ取り戻そう。

目指したいモデル

=昔は当たり前だった形態のお店 決して高級店ではないのです=

旬  には拘った展開
職人 による手を入れた品々が
食材 目利きの仲買さんや問屋さんが仕入れた食材
酒  目利きの問屋から
器  無視できないから
接遇 おもてなしは 近すぎず遠すぎず
お客 お客さん 良くも悪しきも 店の雰囲気を決める一番大事な・・
価格 適正が一番

こんなお店が増えることにより、世の中には、仲買さんの目利きが活性化して、彼らの総人口が増えると同時に養成しにくい人材が生まれやすくなり、受け皿も確保される。この分野が、今以上に広がり、フリーランスの目利きも生まれてくる。付随した、職種が発展するだけではなく、新たなビジネスが生まれてくる。関連産業に回るマネーが、量的にも質的にも拡大するのです。

これでは具体的にイメージ出来ないですよね
はい、やってみなければわかりませんよね

どんなお店ができるのか??
どなたか、チャレンジされませんか?










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