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If business is an exchange, no one can deny the act of playing trump cards. 人は同じ生き物だから、あとは些細な個体差と思えば見えますよ あなた自身が・・

恵まれた人とそうでない人


あくまでも例え話。
オーディションや採用コンペ、その他の公募などで、最終選考に絞られたとする。 コネクションや誰かの後押しがあるとか、親が大物とか、凄い財力があるとか、所謂持っている人と、一方で、それが無い人が、同じ土俵で戦う場合を考えます。外的ファクター以外には、二人は全く互角だとしたら?
選ぶ側は、極めてニュートラルに選考するとして、アンフェアな要素は一切排除すると公言していたとします。

●一つの要素として その公言は信じるに足るのか
●持っている側が何もしないで、ニュートラルにコンペに向かうか
●何も無い側は、諦めて正しいコンペを信じれるか

これが、その人の一生をきめるものだとしたら
皮肉なんですが、その人の一生を左右するかどうかを決めるのは、その人なので、仮に、その人が20年後に、別になんてことのないコンペだったと思っても、その時のその人がそう思えば、一生を賭けた勝負なのです。

持っていない人の行為

真剣に、一生を賭けようと思っている人の、やることは、。
それはその人にとって大事なことであります。
短絡的 考えなし アンフェア ずるい
やらない方からしたら、批判する言葉ば溢れ出るかもしれません。

一方で、そうした本人からは
「だって・・仕方ないでしょ」 の一言にすべてが内包されてるかもしれません。

善悪ではない
正否でもなく
賛否でもない
これは一言で言えば現実です。

持っていれば良いのか


ならば、持っている人が常に幸せか といえば

これもまた私は違うと思います。
満たされている人間の枯渇感もまた
深刻な者があります。
上手くいくことが多い中の
ままならないことからくるダメージ
これは日頃から満たされない人のそれとは、また違った苦しさをもたらすこととおもいます。
持っている人の枯渇感を、持たざる人は強く批判するかもしれません。例えば、最高の食材を手にする満足に溺れて、買い漁り、それを食することなく腐らせてしまうような行為。愚かだと断罪するのは誰にでも出来ても、何故そうさせるのかを知ろうとはしない。

人間の中に、置かれた立場に関わらず、常に求め続けてしまう習性が有ると感じるのです。

あなただって もhしかしたら

これは全て
私の実体験から来ています。
人は恐ろしいくらい柔軟な精神を持っています。だからこそ、愛おしくもあり 恐ろしくもあるのです 同時に、目的のためなら 時として人は強固な殻から抜け出します。
その時は、観ている周囲がドン引きするほどの劇的な出来事としてもちろん、その行為に何の躊躇もなく
人は飛び出して、その行いに対して まるで没頭するがの如きに
周囲は、驚きを通り越し 悲しみに近い感情を抱きます

もっと恐ろしいのは、反面、殻から抜けたことを
もう取り返しがつかないと知りながらも
悔やんだりするのです。
絶望の淵を舐めながら
その、絶望感は周囲にも伝わるのですが
周囲は、その人にすでに悲しみを感じるほど絶望した後なので
もう驚きません

むしろ さらに周囲を絶望させるのは
方から抜けた行為に 絶望することも
悔やむこともせず、再び 三度とその行動を繰り返している人です。

この両者の複合型も存在しますが、これは もはや手のつけようもないほど悲しいい人間になると傍目には見えます。

ただ、傍目は、利害の無い者ですから、何の意味ももちませんから。

潔くないのが人間でもあります。その一つ一つの出来事を振り返る時
常に感じるのは
人間というのは理屈じゃ片付かないね
と吐き捨てたくなる事実です

さて
具体的な物語を書いていきましょうか。
それを書くことを、ここからの課題にします。
書き始めるまで
悩み続けます

強固な殻のなかでね


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