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危機は都合でない事にされるが 本当は有る

書き出しますが、固有名詞が違うとしたら、ごめんなさい 最初に謝りますね。

#クライシス系の映画  っておおくあるではないですか。

例えば、邦画ならば #小松左京  先生の日本沈没 洋画は暇なくありますよね #ジョーズ #インディペンデンスデイ #タワーリングインフェルノ  早期に危機を察知して、権力者に訴えても、聞き耳を持たれず、それどころか、変人扱いまでされる。 にもかかわらず、主人公は、不貞腐れることもなく、愚直に戦い続ける。

権力者たちが、起きていると科学者たちが主張するものを、全否定する理由は、常に自分にとって都合の悪い情報は排除するという、もはやお決まりの対応なのだ、けれど、学者が権力者にとって代わることなく、危機は形を変えては登場する。 天才、地変、動乱、にはじまり、陰謀、策略、感染症、戦争、そして怪獣から、宇宙人まで、総てが人間に牙をむく。

今の、政界はまさにそれではないのか?

映画を伝えている、権力者がそれに築いた時、時は既に遅く

もはや、ヒーローの登場と、奇跡的な幸運で救われるしかない。

映画と今の世界が違うことがあるとするなら、奇跡が起こるかどうかのところではないのか。



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