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明け方の韓国映画

#Obsessed #情愛中毒

しこたま、酒を飲んで 酔いつぶれ 深夜に目を覚ました。 もう1回眠りたかったのだけれど、眠れずに、テレビをつけた。真夜中という時間帯には、ケーブルテレビは本当に相性がいい。チャンネルを選ぶうちに、3時ごろに、#ムービープラス で その映画は始まった。

この映画は、 情愛中毒 は 面白かったというか、様々なことを考えさせられた。それは、多分私が、55という年齢になって、ふと思う疑問の集大成みたいな見方をしてしまった。 この映画 俗にいえば 不倫モノなのですが、法律上はどうかとか 社会通念上どうか という議論は別として、一人の人間が純粋に、恋愛をするという時に、そんなに、タイミング良くいかない方が、むしろ自然で、じゃ、悪いタイミングの中で生まれた恋愛感情はどうすべきか? という物語の一つのパターンです。この映画の中身をここに書くつもりは無いのですが、簡単に言えば。 家庭が有り、地位がある、男が、一人の女性を心底愛した時に、自分の気持ちを抑えて抑えて抑えて、守り抜いた平穏に、どれほどの価値があるのか? 逆に、総てを失っても良いと心が叫んだ時に、その叫びに従って、失ったものは、もはや、取り返しがつかないものだと言うけれど、失ってみて、死ぬほど後悔するのだろうか? という課題です。 総てを捨てて一緒になれるならまだしも、この映画では、総てを捨てても、結局は結ばれないのだけれども、では、これが、とんでもない愚か者の生涯なのかと、問えば、傍目の悲惨さよりも、本人は、ある種の潔さで、納得があったのでは無いかと考えさせられたわけです。まあ、ここに、韓国映画の巧みさで、当時の時代背景、米国と韓国の関係や、韓国の人のものの考え方などが描かれ、実に飽きさせない映画になっているわけです。そして、PTSDも一つのテーマかもしれません。

私が、言いたいのは、仕事、地位、金、なんてものは流動的であり、それに執着したい人間は、それでいいし、恋して苦しくて辛いのなら、思い切り相手を全部捨てて抱きしめるのも、決して間違っていないし。独身同士が、しがらみ無く出会う確率と、婚姻関係がある中で、他の異性に恋をするという事も、確率で言えば、普通に起こることであり、結婚前なら、愛し愛され振り振られ という、人間のそのものとして、あたりまえにの感情行動が、不倫はNGという概念だけで全否定され、それをコントロール出来てしまうのなら、むしろ、その方が不自然だと思うわけです。

だから、こそ、感情に走れと言っているのではないのですが、傍に居るだけで心が救われる様な相手が、出てきたならば、それを安易に否定すのは、もったいないと思います。

人生は短いし、出会いは貴重ですから・・・・

最後に、私 付け加えます 55歳と書きました 多分、恋愛を駆け引きとか、勝ち負けで論ずる人達には、ここで書いたことは、一切あてはまりません。きちんと、色んな思いをした後で、思う事なのです






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