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海街の高校生は 480円で幸せだった  

昭和のおとぎ話



480円程度が好きなんです。
勝手な記憶で書いていますので、全然違うかもしれません。
高校時代だから、今から計算すると40年前ではきかないほどの昔の話
当時、僕は 神奈川県の藤沢という街の高校に通っていたのです
学校帰りにはいくつかのチョイスがありまして、羅列すると以下な感じだったわけです
⚪藤沢駅前 名店ビルのカウンターだけのカレー屋さんでカレーを食べる。
⚪同じ名店ビルの地下にあった 中華の食堂でジャンボラーメンを食べる。
⚪悪友の地元 戸塚駅前の喫茶店でジャンボパフェを食べる
⚪鎌倉へ戻り八百屋市場の並びのフライドチキン屋のコンボを買う

記憶では、これら総ての値段が500を切る400円台後半だった気がしているわけです。もちろん、どれもお安いのですが、このお安いには、総てに特別が付帯していた、ということです。

【カレーのお店】

⚪カレーは、辛さを1〜50 で選べた、70という数字にも記憶が、ルーは熱々、ご飯も熱々、さらにそこに辛さが加わり、カウンターには、赤い福神漬、白い玉ねぎの酢漬け、さらに白さに緑のキャベツの酢漬け これを、載せて熱々、大辛をはハフハフ言いながら食べる。辛いのを食べきった猛者の色紙が店の壁に張り出せれていたり、雰囲気は食事より遊び、でもこのカレーがクセになるクセになってっ離れない。店は、やがて移転したけれど、僕は10年ほど前にも、これだけを食べに藤沢に行ったほどだ。

【ジャンボラーメン】

ジャンボラーメンは、どんぶりからして違う デカいんです。
こんなドンブリ何処で買うの? みたいなデカさ で多いのは麺なのです。具材は、ネギ、ワカメ、チャーシューが気持ち程度 でも、500円アンダーで大食いの私でも、食べ切れるのか少し不安になる量で。
味わうよりも挑戦に近い、けれど 毎回なんとなく食べきっていた感じで。
さっぱり味の醤油ジャンボラーメン 大事な思い出かもしれません。
調べたら、なんと今もある? #ジャンボラーメン けれど、少し大昔のどれよりも豪華な感じが・・・

【戸塚 商店街の喫茶店 ジャンボパフェ】

戸塚に、以前にもここに書いたのですが、音楽スタジをが2つあったのです。若泉楽器店とハマヤ という楽器屋さんですね。その、若泉さんの直ぐ側に、2階に上がる徹底的に 今日から俺は 的な喫茶店があったのです。
学校帰りに、学ランのままで、ここでパフェを食べたのです。
それもジャンボパフェ これもパフェの入れ物が極めてデカい
中身は、かさ増しのゼラチンゼリー あの緑色のもの、それにコーンフレーク、さらにソフトクリーム 生クリーム 缶詰の果物 理屈抜きにデカい 値段は500円アンダー 良くもそんなに、笑って そんなに喋る内容があるよな というくらい、僕らはこの店で キャッキャ しながら長居していた。懐かしい 懐かしい 今はもう 行くことも無くなった戸塚駅まえ

【フライドチキン屋のコンボ】

コンボというのは、鳥と魚とポテトがセットになったやつ
これも500円はしなかったと思う
学校帰りに、ぺちゃんこのカバンと学ランで買いに行くわけですよ
八百屋市場の並び、カバン屋の隣にその店はあり、店の入口のすぐ脇に、バイトのお姉さんのスクーターが置かれている
サンリオのキャラのステッカーが貼られているスクーターが彼女がいる証なわけです
このバイトのお姉さん、同じ塾もどきに来ていて、一つ年上、可愛さと言ったら、もう、そのまんま昭和のアイドルです。
彼女の同級生と話をしても、彼女のアイドル加減は周知の事実で、もはや、同性の目から見ても可愛さの突き抜け。
僕ら年下には、 #高嶺の花子さん  もいいところなのでした
にも関わらず、この人は、何処か影があり、笑顔もどこか上の空的な
まあとにかく魅力的なわけなのです
サザンの歌にある ” 江ノ島に明かりが灯る頃 艶づくは片瀬川” その片瀬川(境川)の傍らにある お嬢さま学校に通っていた彼女。鎌倉の女子たちは、当時、横浜は山手にあるあの学校に行くか、鵠沼あたりのここに行くかが多くて、もしくは、あの独特の制服の付属校だったのですが、僕の有は圧倒的に鵠沼系が多くて、そうそう文化祭まで寄らせていただきました。
500円アンダーのチキンとフィッシュ&チップスが、ワクワクのチョイスでした。
ドギーバックを下げて、すぐ裏にある自宅へ
熱々を頬張ったのです
このチキン屋さんは、その後 より駅近に移転

何が言いたいのか

ものの値段は、高ければ良いものでもなければ、安ければ良いわけでもなくて、自分のその時の生活に無理のない価格というのがとても、快適とファンをもたらすと言う事なんです。お金があるだけで、自分の生活や生き方に似合わないことをする人が、最近物凄く多い気がしていますし、逆に安いことは善であると考えている人も少なくないのです。
支払いと価値という、価格決定のプロセス 需要と供給でもなくて
あるお金で笑顔で過ごすという事に集約されると思うのです。
言わば 昭和50年代後半はワンコインで高校生たちは楽しく過ごしていたという事と、当時のアルバイトの時給もまた、ワンコンに近かった気がするのです。1時間の労働対価は、以外にファンに満ちていたのです。
そして、今までの長い人生経験を減れば、当時不思議だったことも、なんとなく解ることも多くて、幸せは隣り合わせの危険を持っていたり、笑顔の影の青春の暗さも、僕らの至る所にあったわけです。
解らなくて 手探りで けれども 立ち止まることはない日々
今は、懐かしくて拍手ですね はい




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