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役に立たない 人類学

最近になって思ったこと

文化人類学でもないけれど、人間関係とも少し異なるけれど
動物学的でもなく たぶん 人間という生き物特有の傾向として
気付けたことを書いてまいります

でも突き詰めれば 人間だけが特別な生物なんて理由は何処にもないのですから、この記載事項は他の動物にも当てはまると思うのです。
スパイ イルカ 野生に戻れるのか この事に通じるのかもしれません。

今日の本題! 

#ハングリーな人 #地方出身の方  #ボンボン育ち #お嬢さま #高学歴 #低学歴 #ブランド志向 #特定の能力

これら、ハッシュタグ ワードに今日の本題があります。

例えば昭和30年 北陸の網元漁師の長男坊が、比類稀な言語コミュニケーション能力を持っていた場合、この比類稀な才能は生きるのか という課題です。
2023年だったら??
すくなくとも、言えることは

昭和30年代より、今のほうが #その人次第  である可能性は増えている? 私の答えは 真逆で 別に変わらないよね です。
俺の頃は とか 俺等の時代は なんて言ってる人に限って何にもしてない事の言い訳だけは饒舌なんですよ。

可能性の低い時代に努力して夢を掴んだ人の割合は

可能性の高い地代にそれを手にした人の割合と変わらないという仮説です

つまり、夢を手にする人の割合は、時代背景や環境に関わらず、ましてや分母である人口にも関係無く、世の中に必要とされる、極めて尊い一人一人になれる人の難易度は変わらない。
だからこそ、時の求める才能は、先進国からしか出ない という事実は無い事がそれを証明しています。

人類が月に立ったのは、今から50年以上も前の話
でも、未だに月は遠い存在です。

届く努力と届かない努力があったとしたら

⚪自己実現のためだけに努力を重ねる
⚪世の中に必要されるモノは何かを見据え、努力することで自己実現する

So what?

つまり自己実現だけを考えている人には、運は回って来難いという現実
自己実現だけを目的とした努力は、それがどんなに困難な努力だとしても、所詮は、ある一定の個人の欲求を満たすものであり、その一定の個人が社会に強大な影響力を持つ人物であっても、あまり体制に影響する努力には成り得ないのかもしれません。むしろ、興味深いのは、努力の結果が極端に言えば、人類が望むものであった、社会が必要とするものをもたらした場合、努力した人物が誰あろうが、プロダクツは広く受け入れられ、その人の努力は報われるということです。

その典型はボンボン気質の人 ハングリーな人

これは、何方に優劣を付けるのでもなく、善悪を申し上げるのでもないのです。ボンボン気質の人のすごい所って、どんなに困っていても、どこか余裕だし、かなり追い詰められていているのに、割と平気だし。実は、そう見せているだけだよねと思ったら、本当にかなり平気なメンタルで、じゃ、この人ボンボンだから、どこかに助け舟が居るのか? とか、実は、何の後ろ盾もなにもない、切迫状態でいながらもなお、へっちゃら顔だったりする。
それどころか、そんな状態なのに、人に施したりしてる。

一方でハングリーな人は、何処までもハングリーに生きていて、お金も、権力も総て手に入れてると周囲が感じでも、本人は未だまだ空腹な顔をしている。人生どうなるか分からないが口癖で、結局頼れるのは自分だけさ、とか言いながら、優秀な人間が彼を支えていたりする。
もちろん支えてる側も同種の人々が集まるから、そこは一枚岩ではないのかもしれないが。

ボンボン気質は一見ハングリーには逆立ちしても敵わない、と思う
ただ、それさえも、世間的な物差しで比べた時の一つの結果であり、何が勝ち負けかさえ、この世は曖昧なのだ。
ハングリー件の強さは、足るということを知らずに進む
一方でボンボン系の凄さは、足りようが、足らなかろうが、そんなことは考えない事かもしれない。

世の中で成功するためには、世の中が求めるものを生み出し提供することだと私は書いた。
目的のため、世の中に必要なものに気付き、それを届ける 結果、目的に近づく。
これを、人生の成功と呼ぶか?

目的は? 別に 努力は ? 別に 

総てを手にしてもなおハングリーな人

結果、飢え死にしたのだけれど その瞬間まで 別に ハングリーで無かった人のこと

世の中って
面白い









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