The way to "EASY"

 アーティストが自分の作品を言葉で説明するなんて格好悪いよね。
 自分の作品で、自分の思いを表現しきれていないと言っているようなものだもの。
 だけど、この個展を開くきっかけは、短い人生なりに、まだ未熟なりに、これまで考え、感じてきたことの結晶なのだと私は思っています。

Chapter 1. 音楽とのつきあい方

 高校生のころ、家出同然に、ひとり夜行バスに乗って東京へ行った。
 そのとき、私は音楽にのめり込みつつあった。というか、もう抜け出せない沼の中にいたのかもしれない。好きだったバンドが解散して、毎晩のように枕を濡らしていたところに、東京のイベントに、そのバンドのメンバーが参加することを知ったのだ。
 17歳。田舎育ちの私は、大阪にさえ行ったことがなかった。けれど、このチャンスを逃せば、きっと私は一生後悔すると思った。夜行バスをネットで予約し、ホテルに電話をし、コンビニでチケットを買った。
 そのとき見たライブは、今でも鮮明に思い出せるくらい心に残っている。しかし案の定、帰ってきた両親からは雷を落とされ、結局、罰として高校の修学旅行には行けなかった。

 大学生になってからも、私は全く変わらなかった。むしろエスカレートしたといってもいいかもしれない。
 バイトで嫌なことがあっても、単位を落としても、失恋しても、好きなアーティストの曲を聴けば楽しい気分になれたし、ライブに行けば我を忘れられたし、新しい友達と知り合って語り合ったりもした。関西だけじゃなく、東京や名古屋や広島や、時には海外にまで足を伸ばしたりもした。

 今は、そんなふうに熱を入れていた人たちのライブには足を運んでいない。
 なぜか?
 もっと早く気づくべきだったのかもしれないが、ほとんど私はそれに依存していたのだと思う。現実逃避であり、思考の停止だった。
 就活も全くと言っていいほどしなかった。いかに私がダメな人間なのかを面接官に問いただされているような気がしたからだ。本当は、この苦痛を受け入れて、みんな大人になっていくのだと思う。私にはそれが耐えられなかった。つらい現実から逃げて、目の前にあるキラキラした景色を、取り憑かれたかのように追い求めた。

 いよいよ大学を卒業することが決まって(ギリギリだったけど)、もう「学生」という身分のない、ただのひとりの人間として世間に放り出されたとき、やっと私は自分の空っぽさに気がついた。ただ、他者に寄りかかることしかできない、何の役にも立たない腑抜けた殻が、ペラペラと動いているだけだった。

 もう音楽を現実逃避の道具に使ったりしない。今は、友達みたいなもの。楽しいときは二倍楽しく、悲しいときは共感してくれ、苦しいときは大丈夫だと抱きしめてくれるような。

Chapter.2 ベイビー・ドライバー

 今となっては笑い話だが、少女漫画みたいな事件が起きた。

 Yさんは私が兄のように慕っている人の元カノで、彼女のこともまた姉のように慕っていた。二人が別れてからも個々とはつきあいは続いていた。仕事であったつらいことや、恋愛相談、見た映画の話、聴いている音楽の話、くだらないおしゃべりのできる数少ない信用できる人のひとりだった。

 彼女から連絡が来たのは去年の6月半ば。彼女の同僚で、映画好きな私と同い年の男の子がいるから紹介しようかと言ってくれた。初対面の人と会うのは好きなので、とりあえず飲みに行ってみることにした。狭い居酒屋の隅に、N君はいた。

 面倒くさいので詳しいことは省くけれど、それから毎日連絡を取り合って、二人で飲みに行ったり、夏祭りに一緒に行ったり、似顔絵を描いてあげたり、楽しい時間が続いた。私はN君が好きだった。

 二ヶ月くらいたったころ、彼と一緒に映画を見に行った。最近気になる映画の話をしていたところ、お互い「ベイビー・ドライバー」を見に行きたいと盛り上がって、すぐに日が決まった。帰りに寄ったお洒落なヨーロッパ風のレストランで、一緒に感動を共有できる人がいてよかったと笑い合った。いつも来ることがないような雰囲気のいい場所だったので緊張していたが、その日も何事もなく帰宅した。

 彼の気持ちが分からなかった。自分から何か行動を起こす勇気もなかった。ここはとりあえず紹介してくれたYさんと話をするのがいちばんだと思い、その次の日、彼女と飲みに行くことにした。「N君のことで相談したいことがあるので飲みに行きましょう」と。

 待ち合わせしたバーで1杯目を飲み、緊張がほぐれてきたところで、話を切り出そうとしたときだった。伝えておかなければいけないことがあると彼女は言った。
「私、N君とつきあってる」
 人間、ショックを受けると、感情とは正反対の行動をしてしまうものなのだろうか。私は笑って、なんだ、そんなことかぁ、へへへとふざけた態度で、オーダー違いで運ばれてきたウイスキーのロックをぐびぐびと飲み干した。
 つらかった時期、私と出会って明るくなれたんだ、だからこれからも友達でいてほしいと彼女は言った。私は、ただどうやってここから逃げ出すかしか頭になかった。

 夜も更けてきたところでお開きとなり、タクシーを呼んでもらった。
 タクシーのドアが閉まった瞬間、涙があふれ出した。制御のしようがなかった。おしっこしたいときだって、自分の意に反して出てくるよね、あんな感じ。
 携帯電話が鳴って、画面を見るとYさんから「頑張るね!」とメッセージが来ていた。親指を立てて「GOOD」のポーズをしているキャラクターのスタンプを送ることが、私にできる精いっぱいの強がりだった。

 その後は、いろいろと荒れていたけれど、周りの人たちに励ましに元気をもらった。一緒に悲しんでくれる人もいれば、怒る人もいた。笑ってくれる人や、話をただ黙って聞いてくれる人もいた。そして、ふと思った。どうして自分のことをゴミみたいに扱う人にすがっていたのだろう?

 今はもう、どちらからも連絡が来ることはない。

Chapter.3 自由になりたい

 大晦日、友達と一緒に行ったカラオケで、年越しの瞬間に歌った曲はMr.ChildrenのTomorrow Never Knowsだった。「明日のことは誰にも分からない」

 例の一件で暗い気持ちになっていたため、新年で心機一転、今年は楽しい年にするぞと意気込んでいた矢先、apa apa cafeのハルさんが「バンド組もうよ」と声をかけてくださった。私はギターを、ハルさんはベースを弾けるので、あとはドラムだけだね、誰かたたいてくれる人はいないかなと相談に行ったスロートレコーズで「ドラムしよか」と五味さん。パウダーズ結成。明日のことは誰にも分からない。

 凍てつくような冬の日、こたつが壊れていて、ひたすら布団の中でエビのように丸まっていることしかできなかったとき、私が大好きなあるバンドの人から連絡が来た。彼らは海外を中心に活動をしているのだけど、イギリスのある雑誌でイラストのコンペがあるのだが、参加してみてはどうかという内容のメッセージが来た。まず、その人からメッセージが来たことに驚いて、素敵な雑誌のコンペに出すことくらいはできるということに希望が湧き、そして、ただ純粋に自分の絵を好きでいてくれる人がいることが嬉しかった。明日のことは誰にも分からない。

 一年の中で夏がいちばん好き。太陽がさんさんと照っているだけで、意味もなく明るい気分になれるから。
 そんな夏をいち早く感じるべく、友達と4人で宮古島に旅行に行ったのは6月。人生初のダイビングをした。小学生のころからクロールの息継ぎもまともにできないくらいには泳げない。不安要素は残るものの、みんないるしオッケーと軽い気持ちで挑み、浅瀬につかること3分、一刻も早く陸に上がりたかった。本来、人間は酸素のある場所でしか生きられないんだよ、わざわざ自ら死にに行くこともない。怖じ気づく私の腕をインストラクターのおじさんががっしりとつかみ、大丈夫だから落ち着いてと言う。何を根拠にそんなことを言うのか、私のことなんて何ひとつ知らないくせに!
 いよいよ海に潜りますよという段になって、覚悟を決めた。死んだら死んだでそのときだ。天国から、言わんこっちゃないとおじさんを呪ってやる。
 最初こそ、呼吸のしかたに慣れず苦しかったが、ふと気づくとその苦しさが気にならなくなっていた。だって、海が綺麗だったから。小さな魚が私の肩を通り過ぎていく。クマノミが恥ずかしそうにイソギンチャクの間から顔を出していた。
 陸に上がったときには、海の中が恋しくなっていた。明日のことは誰にも分からない。

 楽しく過ごそうと決めたこの一年の中で、必ずやろうと思っていたことが個展だ。新しく絵を描き、会場や日程もろもろも決まったが、最後までなかなか決まらなかったものが、題名。
 何かいい題名のアイデアはないかと本棚をあさった。これまで見た映画の記録を確認し直した。昔つけていた日記を引っ張り出してきた。しっくり来るものがなかった。何かシンプルで、今の自分にフィットするような、そんな題名がいい。
 最終手段、iPhoneの中にある膨大な数の曲をひとつひとつ聴いてみることにした。そこで目に入ってきたのが「ベイビー・ドライバー」のサウンドトラックの中にある「Easy」という曲だった。
 正直、この映画は大好きだけど、苦い思い出がよみがえってくるから、進んでこのアルバムを聴こうという気にはなれなかった。でも、そんな苦い思い出を含んだ曲だからこそ、この曲を受け入れられたときに、自分の中で何かが変わるんじゃないかと思った。

歌詞を調べてみると、こんなことが歌われていた。

“I wanna be high, so high
I wanna be free to know the things I do are right
I wanna be free just me”

“私はもっと気高くありたい
私のすることが正しいと知るために自由になりたい
ただ私でいるために自由になりたい”

 これだと思った。あんなに逃げ回っていたものの中に、今の自分の答えがあった。明日のことは誰にも分からない。


 これまで失敗や間違った選択をすることもあったけど、それは今の自分になるために必要なものだったと思いたいし、ある意味で間違いじゃなかったのかもしれない。それを知るために、この先も、自分ができうるかぎりの軽やかさで歩いていけたら。


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