見出し画像

わからない、という事

〈メモ帳26〉が、今までの最速で一冊終えた。

ここに、”早く完了する事が大切”の意味はなく、「”何かと接した”という証拠」という風に表紙に書いた。

そこから観えるもの(感じた事)はまたの機会に。


今日は、「分からない」という事の括りを当時のメモのままに。

12/5
【共感と共にある分離】


12/9
私が自分の認識する中で、一番大きな考え方は「分からない」というものと思っている。”分かって”いないという意味。

”創造神は誰も見た事がない”と言うのが私がそう思った理由なのだけど、世に多くの神々がいると言われていて、信心する者たちがいて。だけど大元と言われる創造神は誰も確認した事はなく、ただ”存在”だけが伝えられる。


その時その、見えない分からないものを、永遠に”分かる事ない”モノの存在を打ち立てる事で、それを追う姿勢をニンゲンに与えてくれている、と私は解釈したもの。

最終と思われるその「答え」を知ってしまったら、生きる事最大の目的を手に入れたなら、人々はそんなつまらない中で、楽しく生きていく事ができるだろうか…と私は感じたから。


だから分かるより、分からないがおもしろい。そしてその大きな分かつ事のない状態に時折肚落ちする、「分かった!」があるからこそ、人生は面白くなる。

私は今の所、そんな風に思っている。


1/5
”分からない事”に期待する自分がいる。
”分からない事”に恐怖を感じる自分もいる。

という事は?
「分からない事」に何かを抱くソレは、コトによって変わる…、自分の経験(記憶)から来るもの、と判る。

分からない事は、”分かっていないはず”。
分かるという事実自体が、虚構。


1/8
「私」という所有、含むモノ。

”私”とした途端に、所有(分離)がなされる。

”私”が表現されれば分離は発生する。

人は”分ける”もの。
そうせずにはこの世で生きられない。
ならば、今の私から視える事として、

「そうさせてもらう。私が”何か”に意識を向ける時、切り離すその行いが申し訳ない事でなく。だから有難く”そうさせてもらう”為にありがとう、と言う」

朝メモの「一体の時、言葉は存在しない」を思い出しながら、そうであるなら「そうさせて頂く」という姿勢は、私は昔から変わっていない。


1/12
”自分”というカタチから対象へ思いを向ける事が出来るのが「人」というものと、心が変わった。

「一体から離れるな」
これは、”私”という者、と私は思う。


1/13
「一体と離れるな」と朝メモしているけども。

ある心理学で書かれているそれと、自分の感覚は「逆」と感じていた(メモあり)。

それは今となれば、
「そもそも、”自分の居場所”が違うから、トランスにでも入らなければ通常はそうは考えない」

との思いに至る。

正解・不正解ではなく、起点とする「自分の居場所」によって、感覚は違ってしまう。それは”間違い”とは言い切れない、そんな事が世の中にはたくさんある様にも思った。

「”そう思えない状態の場所”に自分が居る」という事だけは事実、なんだろう。

・思考場所から離れる
・枠のない空間へ
・”そこ”に居る(ある)事自体が、(何かから)遠ざける状態
・”読んでる時”じゃ分からない(思考状態)。(逆という表現でも)

(居場所=脳内の話し)


1/14
”自分”が分かっていない、から他(者)からの理解を求める、というのは本当の話。(いつもの様に”分かって”の深読み内容)

分離という、「分かつ」という行いは、それは本当に大切で重要な事。

分かっていないから、他という存在から承認を得たくなる。

自己への信頼、一体がしっかりしてくるとその他への”分かって”の度合いは逓減する。

「分離する」という考え方は、この世に於いてはしっかりと肝に銘じる事、と思いましたですよ(笑)

[自分(というカタチ)が分かる]

含みの多い言葉です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これだけある程度同じ事で括ってみると、書きながら別に観えてくるものがある。

「分かつ」とくれば「分かち合う」が現れる。

人はきちんと「分けてしまう」事が出来る。

分離イメージの「分ける」はネガティヴなニュアンスが多いけども、一方ではしっかりと美しいエネルギーを持っている。

書き並べながら、「良い言葉だな…」と感じる事が出来た。


昨日は夢の内容から綴るものがあったり、ふと広がる気づきに、日記にメモ帳に記し続け疲れた(笑)

夜、日記にまとめて驚いたのは、”ゲシュタルト療法”だった。

私が一時期、動画で視た事があったのもそれだけれども、内容はその具体的な事を視聴した事はなく、全体の「流れ」だけを軽く視たものだった。


私が色々と記録をする(書き出す)のは、昔からの行いで変わりなく、その湧いてくるままに綴り続けるようになった”メモ帳”、そこから「意識・無意識」共に観察する様になり、自分のスタイルは何となく出来上がっていった・・・。

それが昨晩まとめたその内容で「コンパクトに説明されていた」ので、人の意識(無意識)は、一体どれだけの事を知っているんだ?!とビックリした。


使う表現(言葉)も似ているもので、結局、「ソレという状態を表すのに、”その表現になるよねぇ…”」というもの。ワーク通りの事をやっていたという事になる。無意識パワー恐るべし(*^^*)

(実は、ゲシュタルトへの流れも、全く別の事をまとめていて”言葉のリンク”で行ったものでした)

自分の経験がある程度のカタチになってくると、やっぱりちゃんと揃った情報が届く。これは”人工シンクロ”も含んでいる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!