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ニンゲンだから。

何が正しい、正しくない、と思ってしまっても、考えてしまってもいいよね。

そう教わって生きてきたのが私達だから。

そして色んな人達が、色んな解釈と経験を経て、自分の信じる、延いては「正しい」を見つけているんだよね。


それが各々、個々に行われているという事は・・・?

”誰が正しい”ではなく、「私はそう思う・感じた」でよろしい話で。

誰かと一緒である必要はないし、多数に属さないといけない訳でもない。権威や知名度でソレが正しいと思ってしまうのは、私たちがそういう社会で生きてきたから。


皆、自分の「立場」での役割やそこでの気づきを発信しているだけ。勿論、「導きたい意志」で行われているケースもあるけれど。(世の中これが多いのか(笑))

そして、解っているのとやるのとでは、全く違うという事もある。

「やってみないと分からない」と言うのは本当にその通り。人の体験は参考になるけども、自分と同じとも限らない。

自分だけの体験・発見があるから肚に落ち、自信につながる。


正しいものを見つけ、従う理由はなんだ?
誰にとって正しいのだ?
その”正しい”はたった一つの側面から見たに過ぎない。
世界は多面。色々な所から皆が見ているはずだ。
自分に見えているほんの一部から判断しているに過ぎない。

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「違うよ」って反論を受けた時。

(自分がどう受け取るかはここでは置いといて)

単なるイチャモンもあるとは思うけども、本当に結果を知っている場合もあるという事(可能性)。

先日目に留まった動画で、”認知症”の事を有名な方(?)がアドバイスしていた。

そこで一つ引っかかった、「それは出来ないな」、と。

何が言いたいかと言うと、アドバイスと言う「案」を言っているに過ぎず、正しい事を言っている訳ではないという事。

囚われない思考を持つ人の案は、枠内で思考する人からすると、思いもつかない事をポンポンと話すので、「そうなんだ!」と思ってしまう。


ただ、やった者からしたら「それは出来なかった事だ」という事を知るから反論する事もある。

エンターテイナーの導きは「正解」を言っている訳ではない、思いつく限りの「案」の事もあるのだ、と知っていると「ダメだったじゃん!!」とならずに済む「余裕」も生まれるかもしれない。


その歳にならないと又は高齢者が近辺にいないと、実際に体験できない事はあります。年齢は不動産屋に依りけりでも、老人の独り暮らし(一般賃貸)ができない事を、私は去年経験して、想像はしていたけども~肚に落としたのです。

ここにも世情が反映されていて、貸す側のリスク軽減という目線があり、善し悪しでなく、立場による見方なのです。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!