良い氣に乗って飛べ
この間は、ハトが左からバサバサバサーーッと数羽、飛び立つ音にビックリしたワン散歩。
お。
いいぞ。
驚きながら内心で喜んだ。
先日、”ツラツラつら~っと”で書いたみたいな、どこか漠然としたものを書いた時のメモというのは、「そういう状態」で書いているので、後で見返して理解できないものもあったりする。(この補足・説明はまた最後に)
その手のものをメモしたものをnoteにするのは、まともなアタマのままだと、先日書いた様に、”恥ずかし”かったり、もうそれはそれ、と割り切ってしまったりと、「内に在るものをそのまま出す」という事は、恥ずかしい行為でもある。
本題に入ると。
その先日の記事内で、「まだ”詰まる”内容」と書いている時、それは。
他のものがそれ以上詰まらない訳でもなく、ただその一点のみに「そうかんじた”実感”が掴める」というもの。具体的に考えればおかしな話になるけども。
何かがまだ詰まる、詰められる(積める?)とでも言う、”感覚”だけはどこかで掴める「実感」を感じ取る事が出来る、ということ。
掴んでいない”実感”、これこそおかしな感覚だけどもそう、と言う。
掘り下げると。
意識を簡単に、表(顕在)と裏(潜在)として書いていくと、基本的に、「ふわ~」っと上がって来たものをメモするその中で、ただ浮かぶままに書き留める。裏から表に上がって来るから、それを掴んで書く事が出来ている。
まだどこかに残る「残便感(笑)」の様なモノを、”遠く”なのかは分からないけど、とにかくどこか”感じる”から、「まだ詰まる」と書いている。それはまた、外の刺激、何かのきっかけで引き上げられて、「そういえば…」と思い出し、その”メモ”の存在に戻る。
そんな事が言える。
では逆に。
そう書いていない他のもの達は、と言うと。
その”感覚”を感じなかったものは、今の時点・心境で言葉を付けると、1つは、”燃え殻”かもしれない、という事。
ただその時に、何かのきっかけで引き出されメモしたけれど、少なくとも今という再注目した時点に於いては、”不採用”だった、という事。脳の判定は、「今の必要事項(項目)じゃない」、という事なのかもな、と感じた。
もう1つは。
こちらの方を主に考えていたのだけども、時の経過はどんどん出力を変えてしまう。それは、全然まだ”遠い”ところにあるもの、という事。
表で掴める状態、と言うのはつまりそういう事(笑)、自分から潜っていない状態で、表に居る(又は近辺にいる)状態で掴める=把握・自覚できる事。だから「しっくりこない」とか、「よく分かんない…”?”」などという自分の感想は、表から遠いと、いう表現ができると感じたから。
・・・
少しまとめていくと。
そもそも、もう一度「よく読む」と、そんな不思議な事も書いていない(笑)これまた自分自身でも笑えるのだけども、書いた内容が変わっていないのに、ソコに対する自分が、「確実に変わっている」としか言いようがない。
それは何度も書いた様に、自分の意識の場所によって理解の仕方(解釈)は、変わってしまうものだから。現在これを書く為に読んだ時には、「別にフツ~のこと書いてる…」とそう感じたものだから(笑)
これだけ、意識は変動するという風に私は捉える。(これは冒頭部分の説明)
そして、「燃え殻」と表現した部分。
これは本当に燃え殻かどうかは、正直分からない事。今の時点で表の私が「そう判定した」だけの事で、そもそもそんなものを「(noteへ)書こう」と、採用している時点で、何某かはフックされている、という事。
だけど、RASに採用されないのか、”カス”扱いに表側はした、現時点では、というもの。
そうは書きながらも、尾を引かないだけで、”外に出す”ただそれだけで目的達成ならば、上げた時点で「十分に燃え尽きた燃え殻」でもある。
表に上がってきたものは、表の処理によって如何様にも解釈は続けられるように思う。
もしかしたら、この後半のまとめ的部分を引き出す為の”小道具”だった、という風にも見えたりして、表に現わすという事は、何かが生まれるという事なのだと感じた。
つまり、表でなく”裏”を動かしまくっている、という部分も見えてくる。
これに関連した事を丁度一週間前にlineメモしている。
それも触れようと予定していたけれど、それは次回にでも。
昨日は、外出した帰りの運転中に。
バタバタバターーッと、左から音がして、目の前を高く大きく横切るものを目で追うと・・・キジ。
ボディのラメっぽい緑、目元の赤に、シュッとした尻尾。
それを確認した時に「キジだ!」と思って驚いた。
「すっごーい…」
内心で感動していた。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!