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自分に返る

日記やメモの所々に、「観えている(視えている)」と、書いている。カタマリがバラけて見える(そのように捉えられる)事が多くなった、と記録している。

ただ、起きた事(事象への反応)から直ぐにその様にバラけて見えている訳じゃなく、反射(自分の反応)を観てふと、「なんでこの反応をしている?」と、自分に返ってくるので結果的にそこから抜ける事に繋がっている。

メモが再び多くなりつつある今日この頃、これは以前の、”ただ浮かび感じる”という事と内容が全く異なるもの。

自分で観に行き、それがどういう働きによって起きているのか、という事を冷静に観に行けるようになった、と感じる。


知識の入れ方は以前と変わらず、後で確認タイミングで入るので、拘っていない。行っていた事がコレだった、今はココをやっているんだ…、とおススメ動画の、”気の向いたモノ(視ようと感じた時)”で確認できる。近辺情報も同時に得る(気になったものをそこで少し書き留める)、という感じ。

だから私の中で、知識は今までの”割合”で考えてもあまり「変わらない」という事になる。

私の進捗は、アウトプットの仕方は人それぞれだろうけども、「台本通り」に地道に進んでいるだけ、という事になる・・・。

少し遠巻きな表現のメモを。

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(1/21ラインメモ)

イメージで、「現実化」に持って行けるのは、『感覚』。

この現実世界自体の現実化(物質化)ではなく、「無意識を動かしている”感覚”」の部分にフォーカス。

身体に”現実化させる為の「必要な事」”、とインプット(定着)させる事。

これが(深い所の)イメージ・思考の『現実化』と、今なら言う。

・・・

うん、そうだね、そういう事だ。

「現実化」という言葉に囚われる事が普通だから、現実化=表の世界、に現れる事、と考えるけども、やっぱり中身(見えない部分)をいじる事によっての、結果としての「現実化」と考えると、説明がつく。

これは、ただ現実世界だけで動き現実化する=行動、というのとは、ちょっと違うもの。


↑これは、子供の頃にバスケの練習でイメトレをしていて(自主的に)。その事を「今の自分ならどう説明するかな?」と、当時の”映像”に言葉をつけて説明したメモ。

手を離れたボールが、弧を描いてネットに吸い込まれて行く(イメージ)、打つ、イメージ、打つ・・・。

これを、何度もくり返し練習した。イメージとフォームだけでは、成功した「感覚」が、身体には分からない。画(映像)的にはそうなのだけども、それを行うこの「肉体」を使って、その”感覚”というものを叩き込んでいる、と今の私には視えたから。


”現実世界自体での現実化(物質化)”というのは、「スライドした感覚」を持つ。それは日々、私たちが日常で色々アレコレを行える行動(実行)の事で、普段私たちが日常的に苦労なく出来る所、という所。

そこに、「新しく目指す何かの為」に、行動できるように、この身体に記憶させる為の”インプット”が必要。身体を通し感覚を身に付ける、という「この感覚」という所が重要。

「意識しなくてもそれが達成できるようにしてもらう…」。日常動作が無意識で行えるのと同じように。

結果としての”現実化”。

「スライドで現実化」ではなく、意識が大きく動いているイメージ(行き来している)。

去年は、この説明を平面上でしか出来なかった。それは主に、この平面しか観えていなかったから。

今は飛び回る意識が、ソコに言葉をつけさせてくれる。

見えない所の表現だから、正しいとは言えないけども、”自分”の範囲がこの一年で成長したんだな、と確認できた。。。

(また書きたい方向がズレた。その状態を脳内で確認しながら書いているからか、頭が痛い(;´・ω・))

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「メモが多くなりつつある…」と、書いたのだけども。

うん、ホントに昨日は”その動作、反復”が多かった。余計な絡まりがなくなって来て、スルーっと視える。

それだけ感情が動くから、そこから観に行く所がある。

その想いの根本を探しに行くケースと、私が「めんどくさい」と感じる時の脳の動きを視る時と。昨日は後者が頻発。先の予定がタイトになってしまい、「やだなぁ…もう」と思った所、

『いい流れです!』

なんて目に入って、

「あらそう?」

と喜ぶ私。ハハハ、単純♡

とは、書いたけども、分解して自分に理解させたメモを見て、動いていく所だから仕方ない、と冷静になりつつも、やっぱりできる事なら避けたい、という本音と。

自分の好きな事にエネルギーを使うのとは訳が違うから。ただ、それは「分解したメモ」があるお蔭で、結果的にはその行動をする事が自分を解放する(楽にする)という事は見えているから、「やろう」となる。やらなければ”抱え続ける”という事。


「過剰に反応しやすい遺伝的性質に更に環境も重なる」という事で、意志によらない強い反応(脳のクセ)が出てしまう事は、人によって大いにある。

私もいくつかの脳神経系の病気をしてきたから、「そこに原因を持つ事もある」事くらい解る。

だから、”ムリはしない”を一番にしているし、ただそれがただの”怠け”なのかの判別は、やはり自分の反応(感情)から自分に返り、分解して観る、という事をイチイチ丁寧にやってみる、という所で今いる。

分解の事などの詳細は、長くなったので後日に。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!