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リアルを拾う目線

私が、自身を見つめていくことから始まり、その中で学べたことは多分たくさんあり、共に暮らす主人と接する中で活かされてきた事も多くあると思うし、自分を観てきたから、まったく異なる主人が見えやすかった所もある。

今は互いが「相手に対して」考えるという様な流れがある事も少し前に触れた。中心の生活時間(帯)も違うし、動きがほぼバラバラなのでそんなに会話が多いわけでもないと思うけども、それぞれの内側には、”相手”がある。

私は若い頃から人を観る習慣がなんとなくあり、それは自然に行われていた所もあるのだけど、少し前から「情報」からではなく、「これ」というものを見ようという意識が少し強くなっている事は自覚に上がっている。


以前は、はっきりとはそう捉えないけども、表現としては「これはこういう事だ…」という言葉にまとめられる様なそれの見方があったと思う。今の色が濃くなっているからこそ、その時のそれが”そうだった”と浮き彫りになってきている。

「主人が○○と言っている」

例えばこういう状態があった時、今までは”心理”を見ていたように思う。それがまったく意識はしていないけれど、段々とその言っている言葉を、その中身云々は少し遠ざけて、「そう言っている」と、この目の前に私の意識が向けらていることが増えていることに気づいた。

⦅それは○○だから―――。心理どうこうじゃなくて、いや、今確かにこう言ってるんだよねぇ…⦆

目線が表にあった。

・・・ ・・・ ・・・

私たち人の目に映すこの世界は、「次元」と表現したくなる世界で。いくつもの層とか、全く別の空間とか…、このリアルな世界に身を置きながら、例え同じ光景を目の前にしていたとしても”全く見ている世界が違う”という事が当たり前に起きている。

何度も書くけども、人は「自分だけが正しい」「他者が間違っているわけじゃない」と十分に心得ていたとしても、この自分の在り方は、「自分は正しい」という在り方を成している。

このてっぺんについている脳がその様な処理をし、この”私”にその様に情報を押しだしてくるのだから、本当にこれは当然の在り方になってしまう。


人はこの自分の抱える機能に逆らうことはムリ、という風に考える。それでもやり様はあって、その機能を活かしそれに”対処”することが、「自分自身とうまくやる」事に繋がる―――。

他者という外の世界を相手にする私たち人が、外でなく”自分”に着手することは遠回りのように感じるかもしれないけれど、その事で外に直接どうこうしようとしなくても「ちゃんとなる」ので”同じ”こと。

”同じ”以上に深い接触、繋がりに手を伸ばすことができる。繋がりが可能で”自分の”自由は侵されていないという縛りのなさを、どこかに「実感」として他者に与えることさえできる。


私たち人はとても利口だから、見えるところに直接アプローチして結果を得るという事を知っている。それははっきりと分かりやすい”手応え”ではあるけども、人の心は何せ奥にあるもので。その部分に正直な”感想”をなんとなく持つもので…。

表層からではどうしても限界にぶつかるそれを知った時、アプローチに工夫が必要なことが少しずつ見えてくるのだと思う。

・・・

次元、「層」と表現したのだけども。

難しい話でなく、単に本当に現実世界か、頭で考える世界か、という事で、内容的には今までにも登場しているものだけど、触れようと思ったので書いていく。

目指すものを掲げることができるのは人のできる事で、それが在るからその実現へ向けて動き出すことができる、具体的に創り上げていく事ができる。だから想像・理想・ビジョンが大切で掲げる。その事が鮮明でそこに対して明確に理解されていることは重要。

別の世界では。

その事とは全く別の空間、この”現実”という一番身近で、なのにとても観ることが難しいこの世界からの「情報」を、そのままに汲み取るという事は必要になる。


まずは現場だから。
ビジョンだなんだも大切だけど、視野情報から創ったビジョンは、それだけでなく”現場”、現状の事実として存在しているこの「在り方」と組み合わせて練り直すことは重要だと思っている。

理想はあくまでも理想であり、この”現場”にある状態を元に「変えていく」には、この”足元”を直視しなければいけないと思っている。

そこへ向うために”現場”から考える。それは頭の中で作っているものと結構まったく、違う要素を持っていたりして無視ができない。頭の中と現場というのは、それだけかけ離れているということ。


私たちが考え得るのは”想定”、現場が持っているのは想定外。本当は現場がそのままにリアルで考え側がイレギュラー。だけど人はそうは考えなくなっているので一応その目線を主にしたとして、現場に現れる何らかの”結果”という形でそこに見えてくるものを拾う。

ここは近すぎて見ずらいところ。

視野が広いだけでは見えてこない「人の在り方」。言葉は言うだけで簡単にその世界に触れたかのように感じるけども、人の本当の在り方が出ているのは言葉ではないここに現れているもの。

当人も認識できないその音色は、このリアルな世界に在り方として響きを示している。


「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!