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同等ということ

8/25メモ

”差”があるから、分かるとか、そこから学習する…とか、ボチボチ書いたけども。

先日メモしていた、”差がない”という言葉から、今度は「その状態」に入ってみた。

何かと何かというものの間に、”差”がないという事は、同じという事になる訳で、それを例えば「私」という自分とそれ以外(たとえは何でも)、ここでは我が家のワン達との関係でみてみた。


人と犬(動物)という具体的な違いは関係なくて、何を”同じ”とできるか…と。

自分との価値を揃えられた時、それは同じになって、また揃えられたという意図的なものでなく、ごく自然にその動作に出ている事が”同じ”ということ。

自分と同じ”扱い”をできるその対象は、種別に関わらず同じ価値を置いている、と思ったから。そうでないものは与えることはできないと思う…。

人は自分というものを優先に動作するものだから、その優先順位が自分と同等という行いができるという事が、そこに”差”がないという風に、ある一面では言えると思った。

・・・

↑↑これは昔の、まだ私の「自分と向き合う」作業経験が浅い頃、迷いもまだあった頃の例で補足します。

飼い主と動物という主従関係であるけども、ワン達のおやつに喜ぶ姿、楽しそうにはしゃぐ姿を見ると、「もっと買ってあげたい」といつも思ってしまう。

そんな状態がある中で、自分たち人間の何かを削ってまでも、そうしてあげたいと思うことは、「自分を低く見ている事なのか…?」そう考えた事があった。

”自分を優先にする”と言う行いを徹底して意識している時の事で、そういう自分を中心とした周りの、家族との関係の中でも色々と考えてきた。その時だったら、上記の言葉は出せなかった。

「種別に関わらず、同じ価値を置いている」

自分と「同じ」という、”当たり前”に揃えることができたのを、内面から引き出すことができたと思った。

昔は”天秤”にかけてしまっている状態だった。勿論、そんな経緯があってからの身に付けたなのだけども。”どちらが”も何もなく、ただ”同等”ということの内容でした。

そしてそれは、「自分」というこの意識が拡がり、自分以外へも重ねてある状態、という事を表わしていると思った。

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8/26メモ

”手に入れる”ことをゴールにしない。

「欲しいものは手に入れたい」
その為に、人はそれに向かって努力をする。それで良いと思う。

昔書いたけども、それはゴールかそれとも途中のフラグか。それによって”自分”は変わるね。そしてそれを一時のゴールにしたとしても、そこからまたそれを通過点にして”その先へ”行く為の手段に切り替えできたならそれは、「活きた」ことになる。

ただのゴールは、自分がその場で満たされて終わってしまうから。

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こちらも、音声noteに絡む内容になっていると思います(笑)

一旦の”ゴール”は、それはそれで良いのだと思っている。そのゴールを今度は何かの起点にする事でそれは新たな始まりであって、「終着」ではないという事。

それは終わってしまって”新たに別の”を設定しても良いのだと思う。私はここで”活かす”選択が浮かんでいたので、それを原資にした「スタート」という路線で書いている。


これも過去に触れていると思うのだけども、「あれが欲しくて手に入れたらもうそれで気が済んでしまった」。そういう事が私は人生経験の中にあって。そんな事を思い出すと解釈は容易だった。

他にも説明できる言葉(解釈)はあるけども、この路線のままで書くと、手に入れること(所有する)が目的か、それを使って事を行っていくこと(手段・道具とする)が目的か。

その設定によって、「同じモノ」を手にしながら、その先は全く変わってしまうと言うことの話。

ココに辿り着いたら、また少しココから距離を出して(伸ばして)おくという事だと思う。


この両方ともが、今朝の音声noteで話した”メモ”のそばに書いてあったもので、それが、それを機にこうして目に止まりここへ書いている。

記憶という過去の情報は、メモしていなければどんどん流れて消えて行く。普段のことなどは、特に思い出すことも殆どないガラ。

こうして再び見ることになった機会を利用して、その近辺のこと「エピソード」をこのアタマの中から引き出して来て広げる…。予想外の材料があるかもしれない(笑)

・・・

この振り返ったタイミングで、現在においてのコトと意識がシンクロしているという事も今までに多くあった事は書いてきた。本当にバシッとビックリするハマり方はあるのだけども。

今回はそういう事ではなかった(シンクロではないの意)ので、「では、そこから観えたことは?」と少しだけ考えてみた。その”状態”を思い出した時…、

「扉を変えた」

ということか、と。

脳のフォーカス状態によって、バッチリそれしか見えない状態はあり、それは脳(意識)の機能にしっかりハマっている状態という事が言えるのだけども、”それを感じない”ということは、「脳の焦点がそこにない」ということ。今までの”扉”ではなく、「違う扉を開けて見ている(この過去メモを見ていることの比喩)」ということが言えた。


シンクロがあることが良い(悪い)ではなく、それは単に脳のフォーカスに、(この自覚意識が)瞬時に”気づける状態がある”という事が言えるので、シンクロすればその確かめができるという解釈は可能。

過去のそれを目にした時点で、”シンクロしていない”ことは、現在の私にとっては良いことでもあって、それは過去との一致に目標がある訳ではないという事から。

過去のコト、でき事などとの重なり合いが淡くなるという事は、現在の私の進捗に於いては進展である事。(ただし、喜びのポケットからは、いつだって喜びとして球を取り出せる)

それは心がしっかり絡んでいるからだ(*^^*)


⦅文中の太字は、今朝の音声noteで触れている内容を強調する書き方をしました(*^^*)⦆


追)

8/25メモ
《連なりーー”連続”ではない、という事が少し見えてくる》


ここまですべてのトータルで。

「その時」という地点(その時点)では、”意識の塊”みたいなものがそこにある様に感じる(笑)

ズルして仕組みから言ってしまえば、書いているうちに今という現在に集めてしまった、と書けてしまう。。。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!