置き換えて考える

昨日はまた、主人と会話をしながら大きな気づきをいくつか得た。

主人に説明する為にスラスラ出て来るその言葉たちを”私が”聞いていて、『あぁ、そうか。その通りだね』と、自分が納得していた。

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【子供(2~3才児)を抱え、相手する親の大変さ、解かるよね?それを自分のアタマの中に持っている、抱えているという事なんだよね。考えてみても大変な事でしょ(笑)】

潜在意識が動く、動かしていく、という事は一時的に今までの”大人”とのバランスが変わる事でもあり、それを受け止めるのはやはり、大人側のこの意識=顕在側だと思っている。

子育てをした方がそれらを”受容れる”事ができる事と、自分の中の”子供”を許していける事はイコールになる。


理屈ではそういう事になる。
けども、理屈通りに実行する事が難しいから手を焼くのだと思う。そんな風にはっきりと感じた。

これは簡素に書いたけども、私は非常に的を得ていると”自分が聞いていて”思えた事。

親子という関係がそのまま、脳(意識)というものに視えた事だった。

(逆に言うと、自分の中のソレを許せているならば、当然”子”の中にあるその在り方を許せる、という話になる。そこで注意したいのは、自分と同じコトと限定しやすい事。コトの同じじゃなく、状態の同じという抽象的な解釈で許すというのがやっぱり簡単じゃない、と感じる)



そう言えば主人は、あの二日後に再び実行した、と言っていた。

いつものように迎えに行った”自分ジュニア”。
『あそぼ、あそぼ!』
と言って可愛くて仕方がないらしい。それを遊んで相手してあげる”オレ”。それらを観るこの【俺自身】は号泣した、と言って帰宅早々に話してきた。「不思議だよねー」と。

その話を少し拡げての会話をしたのだけども、それはまたの機会として、その時私は主人に聞いた。

「そういう時(泣くと)疲れない?」

私は主人のその状態を(アタマに)描いて、その様に聞いた。

「うん、別に。だってそのまま寝ちゃうから(^-^)」

「そうか、その方がいいかもね。それならいいんだけど(*^^*)」

私の経験では、そういう所に触れた事による涙は、即スッキリという印象はなく、やはり心に残す印象が重い感じがしている。

そしてそれが段々と霧が晴れるように、クリアになっていくのには少し時間経過が必要で、忘れた頃に、”そう言えばそんな事があったね”なんて言えるくらいになって、「晴れた」と言えるんだろう、なんて思う。

私の感覚なので、他者は分からないけども。


その”印象”の事を主人に続けて話した。

「寝ちゃうなら良いんだけど、私なんかはこの起きてる状態で結構やるから、ちょっとキツイって感じる時があるよ(笑)そうだね、眠ったら楽かもね(*^^*)」

やっている事の”事柄”は、全く違うのだけど、この日私も潜在意識(無意識側)がよく動いた状態だったので、下手な思考をせずに”早く寝る”を選択したのが、一昨日の記事内の”潜在側が開いている”と表現したものなんだけども。

そういう状態を繰り返して、「これはあの状態になっている」と、自分で確認した言葉をつけていけるという、この追究がとても楽しく、幸せなのであ~る。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!