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脳内そのもの

『あ~、双子ちゃん?』
「はい (^^)」

『へ~大変だぁ(*^^*)』
「(*^-^*)」

どちらで見かけたか憶えていないけど会った事がある。

まだ新生児に近いかな…というくらいのお子たち2人が、ツインベビーカーで眠ってた。

⦅お母さんの笑顔が最高に嬉しそうで、”救いだ”と思った⦆

”寝不足とかお母さん、大変だろう…ダブルで”と思った所からその言葉は出て、だから私は”笑顔”に安心したという事を頭に浮かべていた。

私の経験が、出産後の”赤ちゃんの大変さ”を経ているから「大変×2」と思ったけど、そうじゃない子育ての人もいるのよね。

そう、フムフムしながら、強風の中のワン散歩だった。


昨日の記事のことから、やはりポツポツと感じることを書く…”情報が渡される”限りで(笑)

問わずに”結んだもの”は、カタマリのまま。
盲点に次ぐ盲点。

「また買ってしまった」は失敗か?
”観る”ということの世界で見たら「そこにはなかった」のは事実で、他との結びつき(つけ)がなされていなかった、ということ。

記憶の再生が強固であれば、「この間買った」がリピートされてくる。どのくらいの期間がネックになるのかは分からないけども、「現物」を目にするまで引き出されることもなかった情報…その程度とも。
(メモより)


これを。今までの視点だけで見ていったらもちろん、”物忘れ”と言っていいと思う。今まではその様な結ばれ方でカタマリ(記憶)になっていたものを活用していたという事で。

コトの大小はあって、それをしてしまうと困ることもあるかもしれないけども、特に差し障りのないものならば、「学習材料」として利用した方が良い。そのコトを気をつけるという軽めの意識と、”そういう状態は発生する”という重点を置きたい方との両方あり。


大抵の場合この表側の方に強めの意識が入ることが多いと思うのだけども、背景の方が意識されない状態として存在するものだから、こちらを憶えておきたい(重点を置きたい)。

そして自分が何に焦点を当てて観るかによって、広げる世界は異なる。私がすぐに広げた世界は…。

「視野に入らないと”情報”として拾えなかった」というもの。

同じ扉の中で、その時は整理場所を変えていて、ずっと同じいつもの場所を確認してきた”動作”は勝手に変わらず行われ、目視では映っていなかった・・・「ストックなし」と判断していた。

動作と情報の不一致、目視確認していても、今までの癖と何かズレていると気づかないというハタラキを気づきに上げた。”そういう事もある”と。

(ナガレ)そしてこの「近辺」の内容を金曜日に既に録っていた音声noteでも触れていて、その元は昨日の記事内にある「※」の付いたあたりの文言から続いていて…(オワリ)

この”流れ”を表側で説明すると、実際に説明を追うと非常に振られる事になり、また読むだけに留まれば解釈は「意味不明」となる。”振られる”という印象はあるものの、「流れ」ていたものだから動きを追えば当然のことで、固定のこの位置から見るだけ(意味解釈だけ)では、流れは見えない。

表の表現は、いつも殆どほんの一部を切り取っただけのコトになっていて、その背後・背景はいつも意味もなくただずっと流れていて。

いや、意味がある・なしは、当人にとってある・なしで、事実こうした他者の背後の流れを知った所で…「?」と通常はなるのだけども、人の仕組みとしては誰にでも”ある”訳なので。

そしてもう一段下げると、「今日は特にこんな事を書こうと思っていた訳じゃない」という本音という”表層”があって、だけど表で何か書いているうちに、どうしても情報を拾うのに「その背後にあったもの」を拾うようになり。「層」をあちこち跨ぐようになり、表の一面からでは”解釈”するには難しいことになる。

大体その結果・感想は、「無意識から来るモノから言葉を出させられている」というようなものなる。

私は自分の経験から「そういう事になる」という風に結んでいるけども、これが流れなど関係なく、「ただ100%現実の世界だけを生きている、全て自分の意思で行われていること」と考える人にとっては、情報の拾い先もこのこちらの世界だけ、という事になる。


自分の習慣が、今まで保持しているそのカタチが、私達にその世界を見せてくれる。その世界は自分の脳が結び付けているモノだけで作られている。

目の前に事象が引き寄せられる、という表現がある。シンクロしてそういう事も事実あることと思うのだけど、違う層もあると思う。

それは、自分の脳内の情報、自らの経験から作られた”目線で”物事を見てしまうから、”その世界”に見えるというもの。

冒頭の彼女の笑顔がなかったら―――。
私はきっと「大変だな…」という同情なんかを抱いただろう。

彼女の笑顔はそれを”否定”してくれた。
本当に、ここでもまた「救い」となって現れてくれた(*^^*)

・・・

余談)
今日は任せたらこの内容になりました(笑)
全く表れているモノとは力が小さい。

必ず見えない所、内側・背後・背景に流れているものからこちらに派生してくるので、ソレが元にこちらがある意味必然的に決まるといってもいい。

そしてこの後・・・。
自分の中の旅の感想や、掃除中の「そっか~」が始まりメモ。

こうして何かしていると次々湧くそれらの言語は。
「出力」の仕方によって次の流れが決まってくる、ということをまた書いていきたいと思います。


え、やだ、、マジかも(;^ω^)

すぐご近所で、少し前にお子さんが生まれた事は雰囲気から分かってるんだけど…。

斜向かいに毛が生えたくらい近い、ご近所さんだ…思い出した。冒頭を書くために、何度も彼女の笑顔を思い出していたらココに繋がれた(笑)

何方かお手伝いに来ている様子も分かってて、双子ちゃんで納得だ。お勤めしてる奥様で、もう全然会ってなかったからお顔も忘れてた。

”情報”が少なくなると、本当に引き出すことが難しくなる。重ねて濃くするか(何度も彼女の笑顔を思い出し…に該当)、他の情報で数を集めるか(近所で会っていれば結べた)と感じた。

とにかく嬉しそうな笑顔は良かった♡

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!