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知らないから言える事

今日は”メモ”からカンタンに。

(私がメモ帳にする”走り書きのメモ”は、パッと浮かんだものを手が止まるまで考えずに書きなぐるもの。”手が止まる”という事は、「思考」に入った段階とみるので、宙ぶらりんで止めるメモもあったりします。

原則、明らかな誤字脱字でない限り、その時に使った”字”や”表現の仕方”を採用。ここnoteに書く時に違和感が出ても”メモ”を優先にしています)


去年か一昨年だったか?

誰かが言ってたね。

「分かる」って事は大変でしょうね…と。

その方は、”自分は未来予知はできません”という事を話していて、分かってしまう事への「思いやる心」で言っていた。優しい人だから。

それはそれとして。

分かってしまう(知ってしまう)という事は大変な事(面)もきっとあるんだろうと思う。だけど私たちは、「分かっていない事」に恐怖を抱き、何もかも知ろうとする。分かれば「安心・楽」だと思っているから。


自分というフィルターを通し、何か一点の事を想定して切り取った所からの発想の拡大、個によるシコウ、様々。

こちらが考えても仕方ない事なんて、たーくさん。

分かってしまうモノを、いかに楽しい方へ自分の努力で創っていくか―――。

そこに”力”がいるんだね。

確率は半々。何もかも決まっていない。
その瞬間、決めたのはそれを目に映した”自分”しかいない。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

(補足)
私は未来予知ができる訳じゃないし、”出来るという人”がいてそれを”想像”したらば、だね。「未来を視る人がいるんだろう」という仮定。

そうした時に、私達の様にこの俗世間に浸かる者たちは、”知りたい”と、知る事が何か”優位”なように感じているから、それを知りたいと思っている所はあって。

だけど。
実際に知らない方が良かったなぁ、と思う事は”知ってて良かった”と同じだけあるだろう、と思ったから。悪い事、イヤな事って知りたくなんかないはず、知らぬが仏。


それらを知ってしまう(分かってしまう)という事はきっと、私達が思う様な「憧れ」の対象になる様な事ではなく、本当の所、かなり詳細に知っている”人”がいるならば、それはメモ冒頭の言葉のように、「大変でしょうね」という感想にもなるだろうなと。

『知っていく、分かっていく』という事は。

色々なモノコトをこの目に映し、呑み込んでいくという事。

それはやっぱり”両面”がある事が理であって、苦手なモノ、嫌い、不快、苦しい…避けて通りたい片面という事の受け入れには、どうしても拒否感が出る。


先に知っている(分かる)事が何か優位な訳ではなく、きっとそれは、『受け容れる準備ができた人』には視えてくるんじゃないか、という側面があるように思う。その両方をしっかりと呑む準備が出来ているからこそ、捉え方に偏りがない。

そして、視えた事に引っ張られるのでなく、そこから自分の工夫で”創り上げる”方に注力していく。力をかけている所もまるで違う。

目の前の事を無理矢理ポジティヴに持っていくのではなく、”観えてくるもの”の中から他の面を引き出してくる、本来のポジティヴへ繋げている。この一連の動作が、瞬間とは違う”ポジティヴ”。


外側の動きを見るのと、内側からの動きを観るのとでは、全く捉えられるものは違うね。それを見る”自分の目”がそれを見せている。

どんな面が見えているか…。

自分の”脳のハタラキ”を自己紹介している様なものだ(*^^*)


(「記憶がなければ、そもそもそこには何もない」という話は、今回の中では全く考えていない)


そうか。
来年の気を強く感じながらも、軽やかなスピードというより、分からないけど早く、モノコトが進んでいくという、どちらかというと”精神的負担感”をどこか感じる(雰囲気)のは、今年との重なりからか。

やっぱり強いな、五黄。

決して黙っていない(笑)

”壊し生まれ”は、背後に十分健在だ。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

20日(木)から11/6まで土用期間に入ります。

動き方に丁寧さ慎重さなどが必要になってくる期間。怖れて動かない動けないではなくて、突発的に衝動的に動く動作をいつもより注意しましょう、という期間。

細かい事は書くつもりはなく、「動き方」いつもより慎重にね!という事だけ発信して今日は終わります(*^^*)

(え?そう。理由はもう眠いから(笑))

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!