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かいらんばん

以前にも一度、少し触れたと思うのだけど。

【昔は、こう思っていた・考えていた。だけど今は違う、”そうじゃないかもしれない”を含めて】

というこの事は、自分の頭の中の記憶(情報)の持ち方、結ばれ方が”変わった”から、自然に今までとは違う考えになった、という風に考える事ができる。

その時の、何かの対象に対してそういう情報(記憶)で固定してあったものが、その後の多くのインプットや経験などにより、それらを含めて「脳が処理し直してくれた」という事と思っているのだけど。


この事は、私自身が”認識できる範囲”として、そうだろうと思っている事なんだけど、このケースは既に組み直されたものを拾える状態を自分自身で”見えている”に近いのだけど…。

とても似ているんだけど、ちょっと違う感覚を引きずりながらの「あれ、もしかしたらこうかもしれない…」という感じの湧き出し。とても柔く、まだ「いや、そんな事ないか」と自ら簡単に潰してしまえるようなものがある。

その状態は、(自分の中の)仮説といって良いのだろうね。

・・・ ・・・ ・・・

『またぶら下がりっ放しか…、回しとかなくちゃダメかな』

他所の事情は聞かないし、分からないから何度か繋いだのだけど、玄関扉にぶら下がったままの回覧板は、何日もそのままだった。

今までの住人は亡くなり、その後はご家族の方や知人なのかよく分からない人たちが入れ替わり出入りしていて、「住む人が変わると全く空気って変わってしまうな…」と、交流していたそのお宅の変わりぶりを感じていた。

今年に入り、その激しい出入りがパタッとなくなり、いない状態を示すそれを何度も目にした。

”至急”であれば、放置しないのだけど、定例のものは何日か置いておく。回す側はそれに気づかない状況があり、留守宅から受け取る次のお宅もまたそういう位置にあり…、おもしろいもので”私”がその前後の状態・状況を把握できる人になってしまっている。

『留守が多くなってるみたいなので、言った方が良いかもしれないですよ』

次へ回すお宅は、ずっとこの地域にいる方、回し方の変更調整など何方に言えばいいかは当たり前に知っている。地元じゃない、お顔と名前の殆どが一致しない私などとは違う。

そんな所で、また行かなくちゃいけないのか?と思っていた朝だった。

ーー夕方ーー

いつもの緑タイムなどで2階へ上がる。朝と違い夕方はその窓から見ることはないのに何故か外を見た―――、「おっと、帰ってきた!」留守宅の方が玄関に立っている所を丁度見ることになった。

・・・

シンクロ/引き寄せ、フォーカス・・・。

そんな事が頭を過ったのだけど、そのこと自体、この向きで考えること自体に”方向転換”する自分がいた。

いつも「何か”分からない事”が分かるんじゃないか…」と思って自分の納得のいく説明・気づきを拾い続けてきたシンクロニシティ。それがやっぱりその考え方の”向き”が急にハッキリと変わってしまったら―――。

その時今までの「…という考え方がある事も分かっている」という脇へ追いやった見方じゃなくて、しっかりとその様(脇へ追いやった方の見方)にしか見えない位置にある時、その考えしか浮かばずに、他が入る隙もなく…ソレと思わせる(頭の)状態がある。

今までの、散々見えてきた方向、方々を向く矢印が、整列し直すかのような結び直し。それによって見せられるものは、今までとは違うという、自分の中の記憶との照合で不一致をみる。

(メモ)

・・・

よく言う「(脳の)状態が違う」という風に書く事はもちろんできる内容だったのだけど、どうしてもこれが湧いた時の、自分の中にまだしっかりと掴めていない”何か”はそこにあるような気がして、簡単なメモだけ残していた。

そしてこの「”事象”から離れる」ことが、この事からうっすらと見えたわけで、今までのパターン(方向)で考えていたという全体の在り方が、殆ど”逆”からの解釈が主として強くなっていたと感じたもの。だから、この具体的な解釈のレベルにおいては、今までと同様の事を掴んで言っている。

冒頭の、「…似ているんだけど、ちょっと違う感覚を引きずりながらの…」は、考え方(捉え方)というその次元ではやはり今までと同じなのだけど、更に違う”層”の部分での解釈を感じているから、感覚的に「違う」と感じている。


この件に関しては、シンクロ(又は引き寄せ)したという事より、ただ無意識で行っている自分自身の行動・動作を目にして、すぐさま”その事”へ焦点を当てることができる状態、フォーカス。という機能の方へ、私の意識は向いていた。

いつもあるこの空間からの、当たり前に見ていた目線が、「その状態にある」ことの”状態”というまとめてしまったものの見方から、その空間で詳細になった、と感じたものだった。

だから書いている内容、使っている言葉自体は、あまり何も変化がない(笑)だけど、この私という中で「視ている」ものは、大分違っていて、それに「私が驚いた」から、簡単にでもわざわざメモにしている。

”そういう状態がある”。

この「言葉」で大まかにやり過ごしていたコトが、具体的に視ることは可能だと分かった。どれだけ、この頭の中に様々を視ることができるのかは、これから出来ることとしてまた、やる事が増えた。

(具体的な次元の解釈では、何も特に変わっていない”解釈”を付けられるのに、そうでない所で”考えている”という事は、そこに(感覚的に)引っかかるという事は、今まで気づいていなかったトコロに意識が向いたという事だね。表の見えると事からでは一切見えない、”頭の中に広げていく空間”の話だと思う。

同時に、時系列の流れで見ていたものを、”現場”からこの頭の中の情報へ、という逆向きの見方として捉えていて、この事が、今月私が意識している行いの向きであるので、そこへの結びが強く見えた、という事も言えるかもしれない)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!