私、なのだ
10/2メモ
「嫌いなんだよね」
自分の主張として当然の事。
・これ、好きなんだよね
・これ、嫌いなんだよね
どちらも同じ事をしてるのに、”きらい”は嫌われるキライがある。
好き、嫌い。
どちらも当然、自分にメリットがあるから傾きが出る。
ただの主張だけじゃない、全てが「メリット」。
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10/2メモ
ある意味、”現実世界”はつまんない
と感じる。
ん、やっぱりつまんない。
見える所(モノ)から 見えないところを
見えない所から 見えてくるモノを。
まだ現れていない種、いづれ見えるモノに変わるもの
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先日主人が動画かな?何かを観て反応していた。
「お金で買えないモノを大切にしたい」
とひとりのおばあちゃんは言い、また別のものでは、
「今を生きてりゃ未来なんてない」
と、年配男性が言ったとか。
どちらも一般の方の言葉、そしてどちらも人生の大先輩。言葉の内容は、多くの人が既に知っているような事。
だけど、この技のない、ズレを感じない、「密」なものをしっかりと捉えられる。それを主人は
「年寄りの言う事は重みがあるなぁ」
と、表現した。
主人は「重み」という言い方をした。私は「ズレを感じない、密…」と表現した。
これは自然と人が感じ取る事の出来る「感覚」なのだと思っている。
直接見た訳でもない、私は映像すら視ていないけども、内容の説明は聞かされたから捉えられた。
【言動の一致】
これしかないんだよね。
言葉というもの自体は”軽い”ものなのだと私は感じる。
それが、同じ言葉なのに「重い」と捉えるのは、その言葉が状態である”行動”を連れてくるから。
実際には「言葉が行動を連れる」などあり得ない事なのだけど、感覚的にはそれは起きてる事なのだ。
だから行動が伴っていないものに、人はどこか「口だけだな」と感じる事が出来るし(軽さを感じる)、言ってる事とやってる事の”一致”というものを自然と観ているのだと思う。
捉える感覚の事など、人はいちいち言葉に表さないけれど、見えない所でしっかりとキャッチしているのはいつもその「感覚」なのだと、感覚優位の私は思っている。
その”状態”を持っている重さ。
そして書いていて気づいたのは、行動という経験が何度もくり返された「密」、詰まった感じの重さなのかもしれない、とも感じた。
言葉に重みが出るのは、別に”想い”が乗っているケースがあるけどもここではその話をしたい訳じゃないのでここでお終い(*^^*)
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最後はこれ。
10/14メモ
他の人は知らないけれど。私は自分の事しか書けないから。
自分軸、自分と向き合う、ということが世で言われて、何年経つのかも知らないけれども、私もそれをやってきた訳で。
その流れ(そこから今までの自分の変化)を観た時に思うのは、
「結局やっぱり、前と然程変わっていないし、『前の私』を許せる範囲が拡がるだけ」
と、言う思いを強くした。
元々からあまり人に迎合しないとか、一緒じゃなくていいよ、とかを主として持っているからかもしれない。
だから恐らく、自分(と思われる部分)の、「周りに合わせた諸々」をたくさんつけた人からすれば”?”となってしまうかもしれないけども、今現在でも私は荒くてガラッパチ?みたいな所は健在だし、あるものはあるよ、という思いにしかならない。
これらを活かす、生かした生き方があると気づくから自然と許せるようになっている、とも言えるのだけども。
(自分の”活動状態”によってこれらの自分の持ってるものも出方は変わる)
私は以前、「穏やかな人は良いなぁ」と思っていた。「女性らしい言葉遣いができる人は素敵だな」と思っていた。今でもそういう人を素敵だと感じている。
でも私はやっぱり、基本的に荒くてスピードがあるのが私で、もたつくのが嫌いで…。ストレートだと男言葉でーーー。
どこまで行ってもそれが「私」なんだ、と認めている。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!