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選ばなければ、ただのガラ。

カンタンなものをメモから。

5/28メモ

その”柄”というものにフォーカスされていたんだろう。新調したカップ、枕カバーは「柄もの」だった。

先に買っていた枕カバーは紺系。後に選ぶカップも、目が選んだのはやはりインディゴだった。だから敢えて赤にした。

気付くと寝室にあるマンダラの絵の配色は、ほぼ枕カバーに使用されていた。

濁ったブルー、くすんだ赤、黄土のような黄褐色。

意識側でなく、無意識側で自然と抵抗なく?選んでいる。というより、”好き”の背景はそういう事も多い。好き以外の何かを取り入れてみる事は、小さくも楽しい挑戦なんだと思う。


私は全体として見た時の「うん」で決めてしまうけど。

そして―――。
それが誰それの云々とかは、私にはあまり関係なくて、私がソレを好きだったから選ぶ。

有名とかブランドとか。
私にその価値観がなければ、それはオマケ。

驚く事に(汗)
10日程後に注文していた枕カバーは、同じデザイナーが監修として携わっていた。

そういう”雰囲気のもの”が好みなんだと、自身を知るきっかけになった。


6/3メモ

フォーカスしている意識なんてない。
それは通常”無意識”、その「結果」がここという世界に現れている。

だから、「ある」と思っていないものを「あなたの中にある」と言われても受け容れられない、認められない。

認める、という事は、確認できるからそれによって実感が伴うから。この現実世界に身を置いておいて、”実感”するもの(こと)以外の、感覚を通らないものを、認めるという事は本来難しい。


それが出来るのは、その感覚をカバーする”思考”、概念、知識を持っているから。どんどん世界を拡げていくと、人は何かしらに寄りかかっている、と思う。支えてもらっている。

「人は一人では生きていない」

という言葉の薄っぺらな意味でなく、どこまでも無限に広がっている”自分”、広がっていい自分という存在でありながら、必ず何かと重なり合う、干渉しあいながら押して押されながら存在していると思うから。


距離はある。実際には全くくっついていない、けれどかなり影響し合いながら、各々は存在している、と今日は「星」にフォーカスしている様だと感じた。


6/3メモ

身体が疲れている、と感じる状態にあって、今日は静かにポツリポツリと、短く浮かぶ。

例えば昔、ケンカをしてそれによって口をきかなくなった。そして、そうなったから今までしていた事も全て打ち切った―――。そんな思いが浮かんでそこから、

人と人の小さなケンカ。これが段々そんな事をしなくなって、”平和な”付き合い、人間関係ができて・・・と考えていると。

あー、そういう事なんだ、と。


小さな小さな”個”人の、良好な関係、間柄が保てなくて、どうしてそれ以上の(大きな)関係を保てるのか?

距離があると、人は良く見える、見る事ができるのだけど近いと本当に全く見えなくなってしまう。

平和、か。。。

誰だって望んでいるはずなのに、誰もが見落としてしまう。それをその争いを唯一許されているのが、公にして第三者に入ってもらって主張する事、なんだもんね。


6/10メモ

どれ一つとして、特定できるものじゃなくて、”色々”が重なって来て、1つのコトへ結ばれたモノコト。

本当はいつもそうなのだけど、この距離がどんどん近くなるなるから「気づく」のだと思う。

上がってくるーーーーー事象・現象

ーー時間ーーが短くなるように感じる。それまでは遠いから気づけていないだけ。だから仕組みはいつもそうなんだろう、と。

(この時はそう思っていた、そう感じた、らしい)

6/10メモ

(他)人のキセキで喜んでいても自分のモノにはならない。キセキは、自分の体験を通して実感できる事だから。

そして気づかないのは、いつもその中にいるから。

そしてまた。
自分のソレと他人のキセキが重なる、入り混じる、が出てくる。

その事象の共有。
それはとてもおもしろい、と思っている。


カンタンに上げられるものを、今使用中のノートから選んで書いているのだけども。

これが「今」に関連した内容になっている事が、今迄にも結構あります(*^^*) 少なくとも、私から観るとその様に感じます。

これが、『自分の意志で選んでいる・選ばされている』、どちらにも読み取れてしまう事柄だと思います。

真ん中に立つ限り、どちらも光は当たり、どちらも影となり得る要素を持つ事になる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!