意識、がいる所

何でかな?どうしてこの流れに入っていったかは覚えてないけども。ここから流れて・・・そこへ入っていった(辿り着いた・流れ着いた)。

そのままを書いていきます。

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そうか、こういう事か…。

音じゃない、音だけじゃない。

目で見て”うるさく”感じる世界がある。外がそうなのかもしれないし、外が普通なのかもしれないし。どちらも対比の表現でしかないけども。

(”見て”というのは、視覚的に見たというより、パッと見”から掴んだ”情報”という感じ)

「入る音」だけじゃなく、目に映っただけのモノ・コトからくるものをアタマ(の中)が、「うるさい」と判断している(感じ)。

目が悪いこと(私は視力が悪いので)、その裸眼で世界を見る事は必要(大切)的に、書いた事があるけども、今また違う深さから捉えている。

「深さ」と私はよく書くけども、私のイメージが潜りの”深さ”になるだけであって、反対へ開く(?)表現になる人も、頭の中の場所でイメージする人も色々いる事と思う。

(↑↑↑これを書いた事により、流れから辿り着いた。)

私は今までに何度か、

「外にあるものを掴む(キャッチする)」と、書いてきたのだけども。自分の中ではこういう表現しか出来なかったからそうしてきて、捉える側からすれば???となるのよね。

私は自分の感覚から表現する事しか出来ない、”知識から書く”という事があまり好きでないし、大した知識も持っていないから、このスタイルになるのだけども(これを好きでやっている)。

今日は(書いた時点)、少しだけソレを”説明できる言葉”が届いてしまったから記事にしようと思った…いつもの”答え合わせ”のように。

目新しい事じゃなく、スピ業界(?)では、当然よね!の内容なのだけど、私が自身で経験して”書ける”事が大切なので続けます。


私が「掴む、キャッチする」と表すのは、「お!掴んだ!!ビビビッ!入って来た!」みたいな衝撃やインパクトのあるものじゃない、殆どいつも。

自・他の区別などがつかない、”自分の思考”として、私は日々発信・発言してます。

それがいつからか、シンクロが当然のようになり、その時の自分の感覚からニュアンスを変えて違う言い方、「漂っているものを掴む」と言ったり。そのような”タイミング”で、結果的に私が言動を発していたり…という事が重なり、重なり、漸く気づいていく。

いや、そこへ”情報”が届いてくれて、知ったというのが正解かもしれない。


「個」に向かえば向かう程、当然の”区別”があり、【私・あなた】と別けて考える。それが目から入る情報処理としても当然なこと、なのだけども。

重ねて外で起きてた事を表現する時に、”確実でないモノ”として掴む(キャッチする)、と書いてきた。何せ、自分の「自覚がない事」は確かだったから。

この「自覚」が、ポイントだったと、理解した。

自分が【ハッキリと分かっていない】状態で、という事の考え方を広げた時に、

自・他の区別がない状態(にある、の所にいる)

とやっとの事で気づいた。

やっと、というこの表現でも解るように、この状態は、その知識がありトレーニングをしている人たちじゃないと、私みたいな素人がしっかりと理解するなんて、図々しい事だった(笑)

今まで何度も、”そう出来ている”なんて思っていたとしても、それはやっぱりとても浅い所での、思考の範囲の中での理解だった、と過ぎて漸く知っていく。

これも少しモヤが晴れた気がした。

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一時、囚われていた言葉を避けたい(私の理解は浅い事から)と思い、触れずに書くとやっぱり何を言ってるのか解らなくなるので、一応の言葉をつけると、「意識」のある場所、という感じ。

この「私」というモノの中に納まっているようで、意識は全然「個」に収まっていなかった、とこの時は理解した、という話。

それが正しいというつもりは全くなく、私が今までの「?」の一部を解釈するのに、この考え方を使うと納得がいった、という話。

自分が意識できる以外の”意識”の場に於いては、自他の区別がなくても当然で、様々がシンクロしても当然だった、という事が判って、なるほど、と思えてた。


「知識が(先に)あれば」という事を頑なに拒む理由も、自身では解っている。例えそれが肚に落とすのに”速い事”と判っていても、やらないのは、自分の脳のクセをいくらか知っているから。

必ずソレに結び付け、「○○だから」というパターンに入り易い、思い込む、ハマる。だからあまり知りたくない。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!