無意識を信頼する

主人がバニラヨーグルトを食べながら言ってきた、感覚的な話。

主:バニラの香りがして、甘けりゃ、「バニラアイス」って思っちゃうんじゃない?ニンゲンはバカだなぁ…

私:ニンゲンは、アタマが使えるから利口だと思ってるけど、バカだよねぇ笑

主:ニンゲンは愚かな行為はする。動物は人間ほど頭が使えなくても、愚かな事はしない。事に対して誠実でしかない。アタマ、良いよね笑


「○○風味」みたいなものを目にすると、何の組み合わせでこの味になるんだろう…?とたまに原材料を凝視する。文字を見ていなかったら、「○○味」と食べただろう…。

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目に見えないものの説明は、「見えないから」説明しようとすると難しいと思う。精神世界・スピリチュアルという「その状態」を事細かに説明がされてしまう程、遠くなってしまう。


以前私が感じた事をまた、つらつら書きます。

知識と言うのは、物事を把握するために必要で、いくら経験ができていても自分のその状態を説明できる知識がなければ(知らなければ)、ただの状態としてある。結びつきのないもの。


たった一つの言葉を知るだけでも、「そういう事か!」と今までの自分の世界が確実に広がった経験があるので、それを表すものは必要と理解しています。


魂のままに、本質で生きていく、スピリチュアルに・・・。

求めて生きようとした人たちは多かったと思う、かつて私もそうだったから。外に懸命に情報を求めて、やろうとして、知識が優位だった時期がある。

どこかで気づいたんだよね、内容に。

その「なろうという状態、なりたい状態」は、『こうである』と解った。次々求め続け、理解しようとし続けるこの状態は、非常にアタマが働いてしまっていて、そうなる訳ないじゃん。

簡単にはそういう事と認識した。

以前私も、知った事を伝えたくて書いていた時、「書けば書く程、遠ざかる様な事をさせてしまっている」と感じた事があった。


それを、改めるやり方が、抽象的である事、と思っている。私は私がやりたい「書く」という表現手段の中から、自分で拾っていく人に向けている部分が少なからずあります。

そこを考えた時に、一層抽象的になったと感じます。


「直接解る言葉」は頭に入り、「捉えにくい言葉」は意識を通さず無意識で捉える…。これが「頭を働かせずに、意識に入れるやり方」と、思っています。

少しずつでも色々が解ってくると、自分の意識を使って状況を試すので、余計に理解が深まっていく。それは今ももちろん継続中の探求です。


何となく分かってる状態から、少しずつ経験を通して確信に変えていく。一つの例がこれでした。

寝る前に少し本を読もうと、ペラペラめくり始めました。寝つきの良い私は、読むという動作より、たまに目を開けて文字を目に映し、ページをめくる…。こんな作業で結局どこの何を読んだのか、内容の記憶は一切なかった。


翌日、ノートやメモなど何かを書いていて、ふと昨晩寝る前に本を読んだことを思い出して手にした。内容は憶えていなくても「気になったココを読もう」としていた事は憶えていたから、近辺をザっと読む・・・。

「何かを書いた」の内容が自分では「どうしてこんな事を書いたかな?」という言葉や表現の元がソコにぽつぽつとある事を確認した。やっぱり。


それ以前にも、人の記事などを読むとどこかしらにその影響を受ける事に気づき、「自分の中へ集中する」という目的も同時にあり、一時期読み物から意識して離れた事がある。自分の中からの言葉に拘りたかった。今でもマネは私が嫌う傾向がある。(あくまで私の中の話です)


そんな事を経ても結局今度はシンクロの嵐に合い、被る事が非常に嫌いな私は避けるより、今度はそれを楽しみ、どういう流れでこれは起きてるのかな?なんて今の時点では「データ集め」をしている状態です。


顕在意識が休んでいる時、この入れる時の状態に”ふるい”という思考フィルターがかからなくて済むのです。

目の前に現れる事に大きく影響を与えているのは「潜在意識」という事は多くの人が知っている。だから顕在意識で「○○になる!」と強く思っても潜在側で抵抗や”そう思っていない”があると現実化しないと言われるところ。


この影響力大の潜在側に、オモテで(顕在)あれこれ思考しないようにスーーっと入れてしまうには、「頭で理解できない事(内容)」の方がすんなりと届くという事になる、と私は思っています。


先日少し触れた「顕在側で認識されたかどうかは全く関係ない」とは、こういう事。潜在意識は常に働いているし、むしろ顕在側が休んだ状態の方が、アタマ(思考)でなく意識優位で、状態的には「なろうと目指した状態」になっている、少なくても近づくという事。


意識してしまう事で、思考は強まりそれが状態から遠ざける。知ろうとすれば、求めれば、やる程にやれなくなる。みな、ここに気づいて通過していくんですよね。


メタファーをとても上手く使っていて、私なんかでは理解できない内容を書く方がいました(*^^*)途中から私は一切理解できなくなり(理解しようとしなかった)、それでも全部最後まで目を通す読み方をした・・・。

これが「アタマを働かせずにただ浴びる」という入力の仕方です。”理解できない事”は不安な事でなく、

「必要な時に必要な情報が上がってくる」

というかなり強固な信頼を大きな意識(潜在意識または宇宙)に委ねている状態になります。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!