必然で起きた(笑)

いつだったか視た動画で、

『緑は太陽から来る光で1番強い光。植物は1番強い光=”緑”を使っていない。私たちにくれている!』

と言った事を聞いて結果として「あー、そうか…なるほど」と、肚に落ちた。

これは、「残す」という事について伝えている内容だったのだけども。「そんなのはただの考え方」と片付ける事は出来るのだけど、そこから同様に考える事が出来たんだよね。

それを今までも読んだ事はあった。だけどその時は何も引っかからなかった。自分のその時「タイミング」がやって来ないと理解は深くならない。


反射して見えているモノ(吸収しなかったもの)が、”植物の色”として見えている、という事をそのまま「人」に考えたのよね、ここでは。

”本人”の自覚がなくても「緑」として存在している植物。見ている側(私達)はその様に見ている。これ(緑)をニンゲンの解釈に近づけるために”主張”と置き換えた。


特定のモノだけで”主張”しなければ、その「境」は明確にならない訳だね、ハッキリとしたカタチにならないから。

空、雲、自然のもの何でもいい、名前があるから区切って捉えるけども、名前は勿論、その「個」としての主張を抜いてみたならば、どこにもその境はないだろう…なんて思って。

この現実世界で生きるのに、それではちょっと都合が悪いから色々と分かれてきたのだろうけど、私はこの考え方をして初めて「みんな繋がっているんだな」と理解した。


現実的に主張を抜くという実践というより、これは私のアタマの中のイメージで視えた事。今までそれが出来なかった。潜るほどカタチはなくなる。

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人は”遠い所”から進んでくるんだろう。

すぐに自分の「答え」に辿り着けるなら、ウン十年もこの世にいる事ないもんね。

中々辿り着かない様な、緻密な計算がされている?!それが計画というものなのかな?という風に思う事は多々頻発する。

魂で生きるとその目線での見方が自然と多くなる。考えてみれば当然か…。

ニンゲン目線と魂目線とが自由に行き来するまでには時間も必要だから。

(大分前に書いた事、と思っていたけど、8/22のメモだった)


note中に主人と濃いミーティングが始まってしまい、私の就寝タイムがやって来てしまったのでこれにて(*^^*)

「ヤダヤダの駄々っ子主人」が現れた模様。ホントに少し突っ込んで解きほぐすと、自分で「あれ…、そうか…」と少しだけ気づく。

この程度では全然まだなんだけども、このくり返しでほんの少しでも「なるほど、こういう事か」に気づけばいいと思っている。

もの凄いシンクロしたね(*^^*)

ミーティング中に「同じこと言ってるよ(*^^*)」って読んだら、少し納得したみたい(笑)


「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!