見出し画像

道のりを嫌う現代(?)

「表現と世界が重なる」

無意識に、ただその状態を思い浮かべながら、寝ぼけた頭で書いていたものだけど…、後で思い出されてふと。

これは”シンクロニシティ”という本当の現象だと思った。

いつもはその時差、空間違いを認識して、”その状態は一致しているな…”という様な目線で見ていたものが「本当」と表現したくなるような、現実との重なりは濃く感じた現象だと思った。

頭と現実、その隙間
明らかにその空間がいつもと違うと感じた。

・・・

数日前のメモだけど、この時は自分事でのシンクロだからか、シンクロ現象だということに気づくことに時間がかかっていた。普段今までに何度も書くシンクロは、「頭の中だけで」結び付けられる事だからだと今なら書く。

それに対しこの時は、シンクロという現象の内側と外側、左辺と右辺とでも表現できるその”両方”の、「それぞれに私がいた」という感じだった。

表現すると大分離れた距離のある言い方になってしまうけども、重なりを感じる所には”居る”わけで、その距離自体は実際にはない、自分によって自分を読み取ること(認識すること)に”距離のある表現”が出てしまう、という様な感じ。

人は一体、「何」に対して話をしているのだろうかね(笑)

私は私の話をしているのだけど、どこにも「私の欠片」など見当たらないように思うがね…(*^^*)

・・・ ・・・ ・・・

これを少し書こう…と思ったそれは、結局昨日の内容と連なっていることが分かる。内容とは直接関係していないのだけど、”差”という言葉を使ったために、そこから連想されたものがメモされた。

以前、「差があるからそこへ向かおうとする」ということに触れているのだけど。昨日”差”という言葉を使ったので、それに関してのことが頭に浮かんできたのだろう…。

”そこへ向かう力”になるのは、「その差、現実はここに居る」という認識、自身が認めていることが絶対の前提で、ただの理想を求めた形という間違った解釈が「イヤなものをなくしていく」という在り方に変形してしまったように思う。

イヤなところの認識はとても重要で、これを外してしまえば、自分の在り方には変化はさせずに状況だけが変わったかのような見せかけの結果に終わる。つまり、”自分は移動しなかった”ということになる。

言葉の解釈は本当に深く、難しく。そして自分が理解できるように解釈するためこういう事も起こる”普通”でもある。

これは、すでに頭の中でまとまったものとしてメモされていて、その過程にアレコレ巡らせたものはあり、その”結果”。”差”のこと以前に、理想ー現実ということも頭を巡っている。

「普段掴みどころのないボワンとしたようなものを書いているけども、よほど”現実を生きていると思った」

という様なことを以前に書いたのだけど。そして意外と現実をバリバリ生きているその人達は、しっかりと空想的・理想があると同時に書いているのだけども。


この事がこのメモの”差”の話となっていて、空想妄想、戯言のようなものでも、それを誰かがその様に言ったとしても、それを頭の中で終わらせなければカタチになるかもしれないもので。その様にしてカタチにしてきたのがこの現実でしっかりと生きてきた人たちであって。始まりは”絵に描いた餅”で大いに結構ということだよね。

”始まりは”としたけども、厳密にはそこは「この現実があるから」その状態から感じる”理想”が描けるとも言えて、何もない所から描くことはやはり難しい事なので、”現実ありき”ともいえる。

ここで少しメモ内容を重ねると、まず、現実を誰もが認識したとして、”それで良い”わけだよね。その現実が最高かどうかは問わず、”現実”を見た。そしてそれによって次の”理想を持つ”ということへ繋がっていく。


完ぺき、申し分なしであれば、理想など湧かない。十分に満たされてしまうから。何か理想があるということは、少なからずそこまでの距離があるわけで、”一致”はしていない状態。理想と言えば「良いこと」という考え方は鉄板で、その良いことだけを求めることで”理想”になるという、ここが変形した所かな…と感じていた。

良いことを求める裏は「イヤなことの排除」というのは、とても簡単な図式で、また世の中の動き自体もその様な流れにあったことで加速したようにも思う。現実から理想の形を作ることは、イヤなことの排除では作られないということ。

「イヤだ」ということは、この自分にしっかりと認識させること。自分がその状態を把握することがとても大切なことだと感じている。

一見、”イヤなことを解消していく”という意味においては同じような事をしているように感じるけども、これは中身がまったく違うと認識した。この「中身」というのは、説明している内容ということよりも、「自分の意識の違い」だと書きたい。先日も書いたように、「そんな事?」はウソのようで本当にそれにより結果は変わるのだ、ということ。

理想までの「差」をそこに保った状態でそこに向かっていく事と、その場で差をなくしてしまう事では、移動の有無が違うことは解る。自分(意識)は動かなければ何も変わらない。

かつては、私もこの考え方が肚に落ちていなかったけども、漸くスッキリと理解できるようになった。

世の中の情報は、「心地よい状態がいい」ということを散々謳っていたから。そして確かにそれで良いのだから。だけどそこからまだいける状態がある、どうやら違うかもしれない…と少し異なる考えを念頭に置きながら、何も考えずに日々進んできた。

「イヤなことをしっかりと感じる」ことの深さを知った。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!