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あの時の空は今…

道路がどんどん暗くなる安心。

雲の流れる速さを知る。


小学生の頃の夏休み。朝起きて曇った天気がイヤだった。ただとにかく晴れている空に、理由などなくテンションが上がった。

夏の空は朝から太陽が見れるのが嬉しかった事を憶えている・・・。

今。

この時期は、ワン散歩で朝一から運動状態になってしまうので、ワン達はもちろん、自分の体調にも気をつける。慣れるまではバテるし、今年は頭痛と色々。

ここ数日の夏空。私は子供の頃を思い出していた。

あんなに曇って残念だったあの空を今は”ありがとう”と、感謝している。大きな白い雲がアマテラスの勢いに覆いかぶさる。

「助けてくれてありがとう」

子供の頃の”イヤ”は、今の味方かもしれない。

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「正解などない」

そうは言われても、”何でもあり”へ辿り着くまでには、真実を抑える事は基本。でないと何もかもがズレてしまう。

その真実をベースにして自分の信じるモノを加えていく。外から加えるでなく、中から開いてきたモノを。それが”その人”になる。


批判的吟味なんてカッコいいものじゃないけれど、真実を見ていく事だって本来とても難しい。自分の想い込み、前提を元に物事を観るのが常だから。

似ているけれど、「感情的な否定」に走りたくなったら、自分へ目線を戻し整える。その種は自分の中にあるもの。

「感情」は自分から出るモノだからね。

相手の言動云々は関係ない。そう考えたら、(他人を)冷静に観れている時は感情でなくアタマが冷静に働いているよね。

どちらが動いているかで必要なコト、整えるのか考えるのかが解かるね。


そして、”吟味”することなくただ批判になっている事はとても多く、これはアタマを働かせずに「自分の考えと違う⇒間違っている」と、単純な思考放棄&自己主張。

色々考えると複雑だし、一つの現象(現れ)の奥に、色々な所が働いている、と思うと、「まだまだ使いこなしてないな~( ;∀;)」なんて、苦笑しつつ、「じゃあ、これから使えるじゃん!」と、このカラダを使わせてもらえるうちは、活かしたいと思った。

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寝る前に空を見上げて挨拶をするんだけど、昨晩は

自分に戻して整える

自分に戻して整える・・・

ありがとう。コツを掴めそうだよ。

そう思って、メモしていた。


何か、最近思うのは「主語(だれ)」ってすごく大切、ってこと。

私の人生を生きるのに、”誰が”という自分以外があたかも自分を脅かしているかのような事は、収まるべき所に自分が収まらず、空っぽになっているから。

その状態では”この人生のドライブを自分が出来る訳がない”んだと。

私達は「自分の人生」という事が、当たり前すぎるが故に”認識”してなくて、そこに他人を登場させて、時に”主人公”にしてしまう。

そりゃあ、その状態を「人生」は嫌うわね。”誰の人生だ!”つって。

その不一致を、きっと「生き辛い」と表現し、きっと「思うようにいかない」と表現するのだろう。


潜在意識は主語を認識しない…とかここでは関係なくて、そちらの流れに任せて生きる、を選択はしていても、こちら、この現実世界で生きる”ニンゲン”としての存在がなくなる訳じゃないから。

背景、視えない所の”要”はあちらだけども、その働きへスイッチを入れる事が出来るのはこちら、顕在意識だから。そしてこの連携だからこちらの在り方がとても大切になると思っている。

今日も全て抱えて整える。

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室温は~28度位で、特に冷え過ぎと感じない。最近私はワン達がケージに入っての数時間の間に、少しでもサンルームで過ごす。

ここの気温、35度超。暑いけどこの外とも内とも言えないこの場所で、自然の風に当たるようにしている。

暫くして部屋に戻ると、寒いこと寒いこと(*‘∀‘)。「こんなに部屋は冷えてるの?」と、ビックリする。この中にワン達も常にいるんだよね…と思うと、慣れって怖いなとしみじみ感じた。


ケージアウト後のワン達。長い時間はココにはいないけれど、やっぱり”生き物”は自然が好き。

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「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!