見出し画像

沢山のヒントがあると思います

あの~…。
これはまず間違いない手応えがあるものなんだけども。

そしてそれは以前にも同様の書き方をした事もあるのだけども。

人の考える「思考側」が、どうも上手く働かない時って、多分人は動揺するのね、焦るの。「書かなくちゃいけないのに書けない」「全然内容がまとまらない」「納得がいかない」、色々あると思うのだけども。


そういう時は、本当に「その状態の自分が”出来る範囲”で」カタチにすれば最大でOK(*^^*) ということ。

いや、私の書くことは殆ど脳・意識の事なので、それでは具体的世界に於いては”何か”というものを得られないかもしれないのだけども、ヒトという生き物としては、後にしっかりタップリ”報酬”を受け取るのよ(*^^*)

そんな風に思う、確実に。
(”書く”でなくても、置き換わると思うわね)


メモ帳から。

1/10
一見、”意味が分からない”ような事を目の当たりにすると、人はこの脳を使って、それらを説明しようとまとめる。習慣・クセ?、学習能力か。

昨日から大分重なって届くのは「大の中の小」、包含のイメージあり。あくまで詳細の具体的意味でなく、「抽象的イメージ」で大量に届く、色んな言葉で。

これをもう一度、”戻して(逆再生)”してみると、やはり私の投げたもの(出力)を、外の色々な具体的に分かれた世界(?)で、観ているという事。


ビジネス・科学・精神、カテゴリーは何でもいい。
それら色々と”分かれた”その中に見ているように思う。

ただ今の私で「?」のままなのは、そこに「人」という肉体の意思は関与していないのでは?というもの。そう考える事が私にとって難しいと感じるし、肉体を通した「私」である証拠でもある様にも感じる。


意識(無)というダイレクトならば「そうである」で、済むかもしれないけれど、それを「考えたい」のが、”人間”なんだと思う。


1/13
自分を観る旅。

自己観察を続けて、自分の成り立ちに触れたりしながら、固定された”私”を浮き彫りにした。

その”私”を知った時、一体(全体)というものが全く理解されていなかった事の気づきと、全然、全体でない”私”に呆然とする。


その後、これも当然の事と納得し、「私」というカタチを改めてしっかりさせる。

何が今までと違うのかと言ったら、それは往来が今までより楽だろう、という事。そして自分の意志を使って、それを行う事が可能だろう、という事。

なるほど。

この全体から「ニンゲン」として生まれる事ができた事を、活かせないのならそれは非常に勿体ない。

「私」を自ら意識して、他者の認識も出来るこの人間の機能を使わなければいけない。その中で苦しい時は、「全体に溶けこむ様に”一体”」となれば、そこは分離されない「安心」がある、という理屈。


私が今まで、所々で「逆か(?)」と思った訳も納得した。

しっかりしたこの頭の状態では、”理屈”としてしか消化できず、少しズレた(ズラした)状態で初めてソレが一体となる。

なるほど、なるほど。
おまけの、なるほど。

何か、という対象に対して、何か思う事も考える事も。

何かと言う対象がなければ、この”私”という者の存在すら浮き彫りにならず。

悲しいかな。

そう思うと、分離は必ず必要なものであって、自分のカタチにそぐわなかったもの含めて、全てのカタチを同じように観なければ、この”私”もない。


他(者)は”私”を現わすもの。
故に”私”は、他を顕わすもの。

互いの違いたがいが、それぞれの「私」を認めるとは、こういう事なのだと、少し深い所で感じた。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

例のごとく、メモの内容は全部を憶えていなくて、寧ろ殆どが忘れている中で、「キーワード」だけ憶えていて、「あれを書こうかな?」と探す。

そして「あ~、コレコレ」の中の内容はほぼ、現在の”環境”に合ったタイミングのものになっている。

これが、自分が自覚できるこの表の意識の範囲でなく、大きな意識側が幅を効かすような”状態”と、私は感じているのだけども。


今回「逆」という言葉をキーワードにメモ帳から探した訳だけども、そこに関連したコト”内容”については憶えていなくて、だけどそれがタイミングとして「合っている」というリンク。

”結び付け”はこちらの意図で行うより、「(大きな意識側で)そう成されているもの」に任せる方が頼れると、私がそれを採用する理由はそこ。


もしそれが、自覚する”私”が気に入らないのであれば、外の現象から自分へフィードバックして修正する行いを加えたら良いと思う、それが「学び」。どちらが「良い」という事はないけれど、私が最重視する「タイミング」に於いては、大きな意識は本当に間違えない。

人が考える・捉える範囲より、大きく視え感じるのだから勿論当然なのだけども、その”フォロー”に回る事を、”私側”という人達は嫌うんだよね(*^^*)

自分の隠れた意識のオチリは、大人の”私”たちが世話できる。

その繰り返しで、自分の中の「信頼関係」がスムーズになるのだと思う。

・・・

元々は、昨日の記事で触れた「逆」という事から紐づき、今日へ流れてきているのが分かっている。

そして、書く予定の内容に、殆ど触れずに流れていった内容(笑)

これを(流れで書いた内容)、私の中では「今」というタイミングで出すもの、という考えをしている。「書こう・書きたかった」という自覚側の意思は持っているのだけど、そこに強い拘りを持つ必要がない事は分かっているから。

逆に言うと、拘って書かなければならない内容など、”一つもない”という事。

”流されなければ”、自分の意思をのままに書けば良いし、何か違う方向へ自然と向いて進んで行くならそれはそれで良い。そんなスタイルなら、何でも書ける、という機会は増える。

(余談)
眠くてふと目を瞑った瞬間、頭に流れる言語が英語に変わっていた(笑)英語を学習している訳じゃないけども、耳に入れる”言葉”は大切ね。
(私は英語が話せないけど、大好きです(*^^*))

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!