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賢いんだか、パカなんだか

『”利口”になる為の危機』

不安とか恐怖とか、とかとか。

そうして覚えて 備えて 学習して

次という今度は対応可能で強くなる。

そうやっていつも

進化させてもらって来た。


そして私たちは また

忘れてしまう

だって、ニンゲンだもの

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”分かったつもり”という見えない妥協。

この現実世界での処理というのは、そのように自分を納得させている。

ホントに全てなんか見えてる訳がないし、解る訳がない。無意識という状態が誰にもあるのだから。

私はよく「分かる、分かってる」なんて書くけども、その別の内側も持っている。

「見えてる所で判断してるだけだよな~…」と。

早く分かってしまいたい…。

だってそれ以上アタマ使わなくて済むもん。だって恐れなくてイイもん。アタマは非常に賢く省エネ。かと思えば退屈も感じるしそんな事象さえも起こす。

そんなアタマが1人1人に乗ってるって、凄い事よ(*^^*)

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長い時間をかけて知らなかった事がどんどん明らかになって、私は少し利口になって来たのだけども、かと言って「全てを知りたいのか」と言ったらそういう訳でもないという事が自分の行動からすぐ判る。

細かく、本格的になり過ぎる内容になっていくと「細かくてめんどくさくなる」、を感じるから。結局自分の心地いい範囲=妥協点があって、その範囲で「知りたい」を探求しているに過ぎない。

だから、細かい事(又は大雑把な事)も特徴なだけで、その特徴も”何に対してそうなるのか”、という対象によっても出方が異なる。


私はずっと細かい性格と思って来た(病気によってかなり直したので今は実感ない)けども、シチュエーションによってはかなりの大雑把という事も主人の行動を観て気づいている。

「うわ~、細かいねぇ…(*‘∀‘)」

それは主人の拘りポイントだから、「細かい」わけなので、私は絶対手を出さないし、「私がやるならこうだからね」というスタンスも知らせている。それによって、主人は自らそれを行う・・・。

言おうか、言っちゃおっか?


炊飯ジャー。(キャー、イッチャッタ)

私は湿気を非常に嫌うので、蒸気レスの物を我が家では使用する。起きている時の炊飯なら換気扇で対応可能だけど、タイマーにするのが殆どなのでそれが不可、という理由で。

で、蒸気レスの物は水が貯まるので、使用ごとに捨てるのは当然なんだけど、取り外せるパーツ全てを外して洗って軽く乾かして…と主人はやる。

でっきなーーーい!!

出来ない、というより、私はそんな事毎日やりたくなーい。私がやる時は要所しかやらない。水は捨て、拭きとって不潔にはならないようにする、という簡単で終わらせる。

この差よ(-_-メ)

衛生面(身の回りの環境)※には細かいけども、他は要所を抑えればいいと言うザックリ感。この辺りは非常に母に似ている所。母も環境的には(衛生)の事には細かく言われて育ったはず。

結局、自分の拘っていること・ものには、深く入るから細かくなるのは当然だし、その程度は自分の”関心度合い”と感じる。(習慣にしてしまった事もある)

※「衛生面」とか言って。「身の回りの環境」とか書いちゃって。自分でプププってなるのね。ジャーの件も衛生だし、”身の回り”ってどこまでが範疇よ?って自分に問えばそりゃもう、プププよ。

自分の拘り、決めたもの。真剣にそんな曖昧な事を執着してやってるんだって、ニンゲンはね(*^^*)

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私が経験を通して「知った事」は、書いていくと言うのがスタイル。そこに誰かの”在り方”を否定するつもりはありません。「書く」という事が私のしたい表現で現在の最優先になっています。

ただストレートに書いて大きな「影響」が出る事がある、という事も実体験から理解しています。人は何かしらに寄りかかっている事が多いから。


それを”外された”ように衝撃を受ける時も現実にあります。私は経験当時、自分をしっかり落ち着かせ、真剣に癒した。そこに依存があった、自分の一部という程の状態にしていた…など、「信じているモノ・コト」というのは、自分に対しての支えになっている・・・深い所がグラついた。

そんな事を人に浴びせたい訳じゃないので、そう言うものをマガジン(有料)にしたり、現在は”語録集”(エキスをギュッとしたもの)も少し書き溜めて、公開にしていきます。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!