視野から視界へと

通りが良くなればなる程、「引っ掛かり」が目立ち。”何が引っ掛かった?”と自分を探る事も容易になっていく。

たくさんが絡まった心と、詰め込んだアタマとを整理し続けてどんどんシンプルになっていく。

本来の姿へ。

どこまで行くかは「本人の計画」という事で。

だんだん分かる、見え易くなる。

【「書きたい」から「伝えたい」へ】

どんどん中へ、中心へ進んでいくと、今まで「やりたい!」と思っていた事が、本当にやりたいと思っていた事さえ、”手段”だったと分かってくる。

私は伝えたい、自分を。

そして「書く事」はその手段だった。私は今まで「書く事」が表現だと思っていた。それが自分の内にあるものを現わす事自体が「表現だった」と気づいていった。

私が「書きたい」と思っていた時は、自分の外側での目的があった。「それをやりたい!」と思っていた自分も、それはそれで力強さがあったと思う。

そして今。

【伝えたい、自分を】と、自然と溢れ出る内側からのものを、自分の感覚と言葉に拘って次々と外へ現わしていく。そうでないと書けない。

私が伝えさせてもらっている喜びは非常に大きく、満たされる。

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融かすのは人の愛。

「それでも、そのままでも。あなたを受容れる人に触れること」

それが自分で自分を許せる一歩になる。

ダメという人もいる、良いんだよと言う人もいる。世の中には両方の人がいる事を、少し見る範囲を広げて見てみよう。


あなたはカバンを右手で持ちますか?じゃあ、左手にしてみて下さい。
クツはどちらから履きますか?逆にやってみて下さい。
カラダは手から洗いますか?首ですか?違う所から洗ってみて下さい…。

「考え方」と言うのも、今までの習慣から来るクセ。同じ習慣の中に長くいると、その【外】がどうなっているのか気づきません。

周りでなく、自分の習慣、小さな日常の中から1つずつ、変えてみよう。自分ができる事は自分の事だけだと思って。

自分の主は自分だからね。


恐らく一般的には「内側から」変えていくものと思う。内側が変わり、それが外側へ効いてくる、というように。手堅いやり方と私も思う…。


主人はもの凄く「パターン化」した日常生活をする人で、だからこそ継続する事が努力なしに出来るとも言えるのだけども。弱点も分かり易い。

帰宅する→シャワーする→台所で色々する(この色々も順序が決まっていて崩さない)→やっと落ち着く…。

このパターン化した習慣にイレギュラーが起こると、途端にルーティンは崩れるのを何度も見てきた。「なんか、忘れてると思ったら、チョコレート食べてなかった(^。^)」とかね。

「なるほど。変化で“中”が混乱するんだ…?」

混乱なんて書くと大げさだけども、パターン化されて、いつもは意識せずに「流れ」で自然に出来ていたものが「乱れる」のよね。

それを活かして「固まってしまったクセ」に刺激を与える事の手伝いをしてくれるのが外からの刺激。「環境を変えると良い」の小さいバージョンとでも言おうか。


どんな事にも一長一短があって、活かす選択をしていく。自分で自分のクセを見つけるのは難しいから、人と接する事は大切だし、世の中にはヒントが沢山あるよ。

非接触でも、繋がれるのが今の時代のメリットだから。今度は「優しい世の中」を見ていく番だよ(*^^*)

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「伝達」って、直接じゃなくて充分。きちんと、届くべき所に運ばれていく。自分ができる事をやれば良い。流れは、流れ方は、自然に任せればベストに運ばれて行くのだから。


みんな考え方は同じ。
自分の範囲はどこまでか。その先の結果は「任せる」こと。「こういうカタチでこうなって…」と言うのはコントロール。どういう風なカタチが良いかは、ニンゲンが考える想定を超えて着地する。

・・・。

私は今世、「イメージを繰り返して、その状態を引き寄せる」的な事を経験する予定はないみたいで。潜在意識(無意識)を使った「叶え方」の説明はできるかな、と思う。

ただし、この状態を作るのは簡単じゃないです(*^^*) 意識・無意識にどちらもほんの少し「引っかける」。

次回はこれに触れようかな。




「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!