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見えていない部分も「私」

意識と”私”(の関係)

”私”に係る言葉、表現を使わないと、”他人事”という距離が自分の中に生まれている、”遠い”感覚。

表現自体は、もちろん過去にも何度も行って来ているし、珍しくはない書き方だけども、”私”というもののカタチに目を向けやすい状態があるのか、「これは私自身のことを書いている」という感想がすぐに掴めた。

”私”との距離が近くなった。

離れて観ることしか出来なかったところから、他人事のようにみていたそれらが、”私のこと”という現れとしてスッとみえた。


昨晩noteを終えた後のメモだけども、気づきが早くなったということを、自然と”距離”に置き換えられて捉えられている、この”私”自身に。

”私”はいつも共にある、と、そうある事が当たり前すぎてそんなこと考えた事もしなかった、この「わたし」という存在を”私”が無意識に出力したもの、私の場合多くは「書くこと」を通して、それを観る(読む、入力する)ことによって、客観視することを経て、確かに今でも客観状態なのだけど、他人事ではない、もっとこの「私なんだ…」という感覚に近寄った、そんな視え方(感じ方)をしている。だから、”他者のことではない”そのモノの現われ(顕れ)だ、と感じる。


◎一昨日の夕寝、起き掛けの頭に、やはり「ヒント」と感じるようなものを見ていた。それは昨日日中にポストした”鳥の鳴き声~”のことと絡んでいると、私はその連なりを感じている。◎

”夢”の中では、外のできごと、何かの鳴き声でも人の言動でも何でも、そこは暈されていたけど、それが前提の中で、この私がそれらを聞き(読み込み)、「この私の中で」それらを処理している(=感じている)という、「私の中で(内側で)」という所が強調されているようなものだった。

例えば主人との会話があったとして、明るさを伴う玉が、その人の内側で光っていたり、私の内側で光ったりと、その”在り処”を映像にして自ら確認しているようだった。


不思議な話ではなく、私が覚醒中でも行う”イメージ”、解釈の映像化がそこで行われていたという事ができて、詳細に言うなら、この”夢”で見せられているような状態を私はベースとしていて、夢(眠っている・それが見れる頭の状態)の時は、そこに居る(戻っている)状態なだけで、普段の覚醒時はその上(?)またはその外側からベースを使っているような、逆に少し距離がある状態となっていると表現できる。

ノイズがなくとても静かでシンプルで。だけどハッキリとクリアな雰囲気で見ているので、”近い”、”そこに居る”というような感覚を持っている。

また、「ヒント」と表現上は使ったものの、何かをそこから取り出してここ「現実」に持ってきた訳じゃなく(私はそう思っている)、◎◎間のこの表現を観れば、「連なり」であり、「絡んでいる」のであり、私は”その一連”として全体を「感じて」いるもの。


”眠った状態”ということで、この意識が途切れ切断されるわけでなく、いや、自覚上の掴める意識では”切れた”状態かもしれないけれど、ず~っと細く弱く、意識は繋がっていると、私はこの感じから受け取っている。だから「ヒント」でも何でもなく、「当然のこと」として、この”一部”のことを、覚醒時と区分けすることなく私側でみている。

通常は、このはっきりとした自覚できる”意識”であることが、”普通”を占めるため、”それ以外”のことは、この自分によっていつもの判定などが正確にできず、下手をすれば切り捨てる部分だろうと思う。おかしなこと、変な夢…、と思うのもまた”普通”と思う。逆に、これを何も確かめることなく、即採用に値するとすることもまたおかしい事は言うまでもない。

私は”バカなこと”を散々やってきているので。

世の中がおかしなことだらけで回るという事も、ぼちぼち見てきて。

過去にはそんな事に腹の立つ気持ちも強くあったりしたけども、今でも大嫌いなものに対して、そこに浸かれば腹も立つけども―――。

そしてその思いからスイッチが入り、色々と学ぶとぶつかるのは「自分がバカだ」という事。

外の何かに”腹立つ”という強い思いが出る時、詰めていくと結局”私”にしか辿り着かなかった。悔しいけど、バカなんだと諦める瞬間。そしてその強い思いが、ここまで私を支えてきたエネルギ―でもあると思っている。

・・・

終わりはメモ内容に繋がっていってしまった。思い、その感情は自分を動かすエネルギーになる。ただ発散ではなく、人はその使い方を考えることが出来るのだと思う。

それをうまく使っているのが、自分のやっていない事をうまくやっている人との違いだから。

人は自分を肯定しかしない。全部肯定して良いのだけど、外の何かを羨望しながら、やらない自分を肯定もする矛盾もたくさんある。抱える自分の思いと裏腹に、在り方としてそうある自分をきちんと完全に全肯定している。

人の「自分の中」は、矛盾だらけになっている。見つけたら今、どう考えるか、何を選択するかを今の自分が都度行うことだと思っている。

(過去のこととは言え、”悔しいけど、バカだと諦める…”こんな言葉を書くのが恥ずかしい(*´з`) ”その逆の自分”と思っていたわけだから。ものを知らないって本当に怖い…。”それは若さだった”と、言い訳くらいは書いておく(笑))

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!