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本来は”一緒”

”その時”というのは「主人の話」として会話しているので、その目線になっている。

時をズラして再びソレ(昨日の記事)を観ると―――。

”私”というモノとして拾う事もできる、所々。

そんな風にして目線を後でズラすと、全ての事は「自分事」と観る事が可能になる。


(始めからその”目線”ならば、それはそれで良く、ここでは「他人事」として見ていた場合の事について書いています。要は、その状態を活かす事を私は前提に考えるので、「どちらの目線で!」と頑なに捉えるものではない事だけ前置きします)

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今日は、言葉という平面から所々離れて解釈する内容です。その状態をイメージ(空間的広がり)で作る事ができると、少し分かり易いと思います。

(昨日の主人話関連は、明日書きます(*^^*))


”分離”という意識があるのは当然の事。

あなたという他者と、わたしという自分はきちんと”別”の者だから。

例えば何かを読んでいる時、書いた人と読んでいる私という人は別であって当然。その通りだから。

でも面白いもんで。


内容によってはそれを”同じ!”と、共感する。
「自分のこと」として共に感じている。

もう一度戻って。

それは「別」であった。
他者の書いたもの。それが「内容」によって一緒になるとは?

文章の内容という単なる意味と、今度は”内容”という言葉の意味つまり、少し奥へ入って考えを拡げてみると・・・、『中に入っているもの』だね。何か器などの中(内)に入っているもの。

それはつまり?

自分という器ね。その中にあるから共に感じる事ができる、という風に私は考える。

で、とすると?

もう一つの方の「共感できない」というものは、自分という器の外(側)に出してしまったもの、という風に考える事ができる訳だね。それを自分と分離させた=切り離した、という解釈になる。


そもそも論へ。

共感とか分離とかいうこのコトバ。少し探るとその奥(に見えない所)に、

☆共感→切り離された背景※があり
分離→共に有る(感じる)背景があり☆、

それらどちらの状態も、自分の中にきちんと”有る”事が分かる、というもの。

※共感や分離という、表側のこの世界で使われる言葉の”裏側”というイメージで”背景”という表現を使用。表があれば裏になる部分が同時に現れる。


(状態で考えた話)
少し噛み砕くと、「共感」という言葉(表現)は、分離という状態がなければその言葉の発生はなく、「分離」に於いても理屈は同様。

相反する言葉・状態というのは、傾き方が例えば右か左かという対極なだけであって、「同じ」こと。そこからもう一度少し前の表現に戻ってみると、自分という「器」を境に外・内と分けてしまった状態を目にしているだけ、と考える事ができる。「自分」ができる迄は、”区別”がなかった、という事はワンの行動を観て感じた事もある。


別の考え方では、簡単には混沌、何でもあり、様々が混濁するその中から、タカミムスヒ、カミムスヒの神が生成されて…、という所から観る。元の一つ「アメノミナカヌシ」はその後姿を見せないというより、どんどん様々が生成されれば、その元の姿はその姿として残る事はない、という様に私は捉えている。


その様に、「分からない(分けられていない)」状態から、「分かつ」という分離がどんどん進み、それを”具体的”という細かな事象として私たちがこの目にしているのが「この世」という風に感じている。

この話の流れ全てが、「元は1つ」と考える事ができる部分であると、私は思っているので、何かをこの世に”表す”という事には、意図せずとも「裏側」という側面を同時に生成するものと考えている。


例えば仮に、私と同じ考え方を持つ人であれば、その「口にしない」という事の意味が解かると思う。けども通常この世では、その様な考え方をする人は少なく、少し理解されにくい話なのでその結果、”あまり口にしない”という様になる。

(そこを、どう捉え、どのスタンスでこの世を生きるのかは、自分が決める所なので、自由で良いと思う)

この、具体的という細かい世界で考えると、”好き嫌い”という様などちらかという判定が出てくるのだけども、☆ ☆間で書いた事を”この世”という空間でメタ的に見てみても、右辺左辺的要素なだけで、”全体”と言う視点に切り替えれば、どちらも状態を表すだけの偏り方、つまり”一緒”と捉える事ができてしまう。

「分離」の話は他の角度からまた機会があれば触れたいと思います。


「みかが、Twitterで誰かとやり取りしてるのを聞くのが面白い(^-^)」

私が日々、ツイッターを楽しんでいる姿を見て非常に喜んでいる主人。「今日は何か、おもしろい事あった?」と聞いてくる事に驚く(笑)

『そんなに自分が楽しいと感じるなら、やってみればいいじゃん!(^^)!』

開設してあるのに、殆ど使わない主人にそう伝えると同時に、もの凄くおもしろいなぁと感じていて。何が驚くかって、今迄、私のやる事に関心を示した事などない人だから。


一切私の画面などは見てない。だけど聞かれて話すその話を聞いて非常に喜んでいる、自分事の様に(笑)何も触れずに自分の中に、私と同じ「喜び・楽しみ」がある、という事が、主人の中で”分離されていないのだろう”と、感じていた。


「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!