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引き出す“情報”

寝不足状態で起床した昨朝。

午前のルーティンを終わらせ、早々に昼寝。~2時間近く。起床のビフォーアフターは、「居る世界が違う」と感じるほど、頭の感じは変わる。起きて”スッキリ”という表現を大体使うのだろうけど、何と言うか、”先ほどのボワンとしたのとは違う”という感じのスッキリで、クリアなスッキリとは異なる。

それが起きがけというものだけども。

で。
どちらにしようかと思ったけど、昨日冒頭に主人のそんな話を書いたので、そっちで行きます(*^^*)

※昨日冒頭記事の思い込みをしたのは「私」の方、その話を書いたつもりだったのだけども、今読むと、主人が撤回しているので、そちらの思い込みという風にも解釈できてしまいますね。

私です(*^^*) 
私が理解する時に脳内でイメージに置き換えて「こういう事?」と理解しようとした…、そうであれば”から”じゃおかしいという話。冒頭に「マジメに言ってないでしょ?」と、いつもふざけておもしろい事を言う主人に、私が訊ねて確認しました(笑)主人はパラレルの話など持ち出して、自ら”動画の影響があるかも”とも言っていました。

・・・ ・・・ ・・・

「お話」として読んでください。

これを書いた後に、ワン散歩中に感じた事を後にかんたんにメモした。

それは、”何か”をきちんと決めているから。

それによって起きること、受け取ることになるものを”受け容れる”という事を、必ず同時にしているからだね。もっと言えば、そこが決まっている人は、「苦にならない・しない」という態度になっているということ。

9/7 精神という理性より うみのみか


「”何か”をきちんと決めているから。」

これに焦点が当たっていた。

”何か”と現す、未到来の”未来”。
そこを先に”決めて”しまっている状態、当たり前にごく自然に。そこに疑問と言うか、普段はフォーカスする事のないそこが気になった。

「“やっている”って、そこに時間なんてないね。その中に”在る”状態は時間などない。ズレた時にいつも”経過”という形で時の発生をカウントしている。やっぱりウラシマ」

この類は今までにも何度か感じているけども、主はそこと言うより「そこから”考えていく”方」が大切と思った。


現在、という場所に小刻みに完全に居続けることは不可能。刹那のくり返しに、延々と瞬間瞬間に移り続けることはできない(難しい)。ただ、そこに”居る”と感じること、その時そうしたいと思うことは人の自由で、その話に触れるつもりはなし。

そうであるという”状態”から、「…であれば」と切り開く方向へ進めていけるのが、人の出来ることであり、知恵でもあって、「脳内がその様に働くならば、それをこの様に活用できる」と考えて進んできたのが人類。


未到来のことを先に決めている

考えたら理屈は破綻していること。だけど私たちはそれを、時に当たり前に普通に行っていながら、ノウハウで「決めるのが先」などと言われると途端にウソッコ感に疑心暗鬼、自らを疑ってしまったりもする。

気づいていない事は、「普通にやってしまっている」のに、意識上に上がるという”気づきの範囲”に入った途端に、私たちの”検閲”は作動する意識・無意識のこの関係。


無意識に”出来ていた事”を、もっとはっきりと自覚できる状態、=意識に上がることによって理屈では”やり易くなる”はずなのに、かえってできない・やり辛くなる、という逆転現象。無意識の自然・意識の抵抗、この関係も、ある状態ではこのような表現になってしまう。

意識せずに行われているコトの中には、意識上で困るような悪しき習慣(パターン・クセ)があったりする事も事実だけども、それだけではなく、良き働きとして自然に行い続けているモノも存在する。

昨日の記事内では、私はこの事が全く頭に浮かんでいなかったけども、今日は、書いていく内にその様な見え方が浮かんでいる。


もう少し脇道に逸れると、「決めるのが先」という教えは、珍しいものではなく、かなり多く知られている事。それがこうして”敢えて”フォーカスされるという事は、私の中で、「理解する(しようとする)」というその状態から”外れた”と、捉える事ができた。

私は過去に何度も「(事を)やろうとしない」という事を書いてきて、自らその様にしてきたのだけども、この辺りとも繋がってくる。

”やる”という事を意識的に避けて、状態の変化から”自然とやっている”ということを多く行って来た。それでもやはり意識に上がったものは、完全に無視することはできずに、どこか「やろう」となってしまっていた事があった、と解釈する。


ここで書いているのは、具体的世界の”現実”の中で、何かの行為を”やる”という行いのことではなくて、見えない”意識”に寄った話。私の殆どは「意識(無意識)」の話が暗黙の中心になっているから。

表現を変えると、内側からの変容を主眼にしていた中でも「表面的な捉え方をしていたモノ」であったと解釈できて、それが両輪が揃い「そういうことか…」となるケースに近い。

私の体験の中では、両輪の揃い方が”逆”で、大概、理屈的なものは後に入って来て”確かめ”のようなカタチで落ちていくのだけども、今回はその逆だった、という様なことだった。

・・・

脇道が”メイン”となって、ここまで占めてしまった。

という事は、”本筋”と私が思ったコトはほんの少しで(十分で)、それ以外の”周囲”の気づきを引っ張り出す為の本筋だったという事も、いつもながらに感じる。

長くなってしまったけどもこのまま書くと、本筋という核の部分は、この様な周囲の、細々や間接的なことで現せるというもの。このカタチは、明瞭な意識で「理解しよう」と入力されるよりも、”間接的”としている通り、関門・検閲を突破しやすい。


もちろん、読まない事には頭に入ることはないけども、ガードは自分の好みや良し悪し判断によって作動してしまうので、幾らかでもそこを透過していくようにするには、この様な形になる(と私は思っている)。

・・・ ・・・ ・・・

はい、結局”過去”に戻る事がとても難しく、大して触れずに脇道の拡大で進みました(笑)もっと”時間”の話になることがメモの段階では予定されていた。

メモした内容など触れることなく、引用から進んで来たらこの様に。「考える事」というのは、その時々で変わるということ、(自覚上の)記憶した事を引き出してこなければ、”同じ”にはならないということ。

明日、本来の”元メモ”と共にまた“別線”を書いて行きます。

メモ…今読んでみたら、我ながらおもしろいと感じた(笑)

自分に”前フリ”しているようだ(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!