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かげ

PART1 どうしてできたの?


「右と下に線を書けば“その字”は分かるでしょ?だってそうしたでしょ


…分かるよ。私も子供の頃に字を書いて、文字の右と下に線を入れて立体っぽくした経験はあるから知ってはいる…。だから、聞いてるの、「何でソコを知ってるの?」

私にとって不思議な向きで食らいついた。


「私は、『○○して△△になる』という左からの方向、一方方向の→(矢印)の考えで終わってる。何であなたは『右から左の←』に流れたの?右と下に影を付けるだけで文字になる、が分かるって、私にはその発想がなかった。その違いを知りたいの。」

「そういうのを見た事(読んだ事)があるから…」

・・・あー。知識か・・・


主人との会話はそれで終わった。


PART2 幼い子ども

ワン達を見に来て喜ぶヨチヨチ歩きの子が近所にいましてね。

気になって何度も家の前を行ったり来たりするその子にワン達は吠えまくり、その親子がいるうちはずっと吠え続けている。

5匹を2回に分けて散歩に行くのだけど、先日2回目チームの時に、その親子に出会った。


「(大人しめのチームだから)今日は直接会えたね!」とこちらは明るく男児を見て声をかけるも、アレ?反応がイマイチ。

「いつもね、吠えさせたくて何度も前を行き来してるの…」

とお母さん。


あー、なるほど。。。

「子どもの感覚って全く違うんですよね。」

素直に感動してお母さんに伝えた。そうか、直接会ってもそりゃ楽しくないわね、吠えないんだから笑。フ~ム…って表情なわけだわ。

納得と気づきをもらって帰宅した。


・吠えるとうるさい

・吠えられると怖いと思ってしまい、犬が嫌いになっちゃうから

いつもの私の経験から、その見方を通して物事を見ていた「私フィルター」。吠える・吠えられるというものにまだ、意味付けもされていない男児にとって、賑やかで楽しい響きでしかないのかもしれない。

逆に大人しくても近寄られるだけでビックリして怖くて泣く子もいる…。分からないもの、得たい知れずへの恐怖という本能…、

色んな事を考えていた。

数日後、再び会った時に、吠えるチームに近くでワンワンされていた男児の表情に注目していると、瞬きもせずにジーっと見つめながら、口元が笑ったのが見えた。

「ワォ、うごくおもちゃだ~」

そんな風に見えてるのかもしれない。

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日々の他愛ない出来事、「日常」にはゴロゴロと宝が転がっている。


誰でもいつでも、観る気になって見てみると、やっぱり世界は全く違うものになるのでしょうね。


でもそして。
観るとなしに見る、自分の目で観る、などの見方の違う経験があるから、世界も違く見えるのだと思います。


それでも、経験だけでは、そこで終わってしまい、応用に発展しない事も実体験で分かった、知識不足。


どっちがあるのが良いじゃなくて、やっぱり両輪じゃないと、最適の回転にならない事も気付かされた。


更に。
視力の強弱関係なく、機能として同じものが付いている目。実際には、この「目」の段階で様々なインプットに別れてしまう。


ここから既に始まり、心・思考を通したら、アウトプットは更にオリジナル。それが当たり前。だから、他とあまりにも同じなら、逆にそれを疑ってもいいのかもね。


…40の頃より、50手前の今の方が大分、若々しく見えるなぁ、わたし…


あー、失礼。これはまた随分と見違えているようです。

老眼鏡、また新調しようかなぁ。。。苦笑




「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!