脱皮して小さくなる事はない
先日、
【私たちは、自分という”ひとつ”でありながら、まったく「一つ」としてまとまっていない状態を抱えて生きてていると思う。本当にバラバラ。・・・意識した所しか分かっていない…。】
と書いたんだよね。
それは、これを目にしたから↓↓
もう大分前に、パソコンで犬の記事を読んでから、明らかに”犬の話題”がトップ表示に増えたという実感がある。毎日いくつも載ってくる…読まずにそのままにするのだけども。
これは”興奮を静める”という所に興味を持ち、読んだんだと思う。それからは、その目的で”全体”を撫でることはしていないのだけど(笑)、「犬のこと」をこの人間のアタマで想像しながら、ニコルやピースを撫でたりしている。
で、冒頭の「人もそう言うことか…」と湧いたので、一部を書いたものだった。
”全体”に意識が向かず、一部に意識が集中する―――。
人が、その時に”恐怖”を感じているかどうかは分からないけど、局所に集中した状態は、まったく”快適じゃないこと”を経験から思い起こしていた。自然な没頭とは全く異なるので。
そしてその状態から、「”そこから”意識を離してあげること」は、ゆるみ、ギュッとしている状態からの解放に繋がることは想像ができたので、重ねて考えていた。
”全体”という大きな所へ意識を持って行った方が良い選択である事も多い。今この”・”が全てと思っているその状態が、”⦿”ほんの一部という外側の方を捉えていくという目線があるのは、きっと便利なことだと思う。
・・・
人は、双方が意識できているかどうかは、あまり関係がないと思うのだけど、どうでしょうか。
私は、今はそんな風に思っています。
自分が気づいていない所で、誰かは意外と見ていたり、気にかけてくれたりしているものだろうと思うのだけど、どうでしょうか?
私が”特別に”そうだったから、そんなのん気なことを言うのでしょうか。そうではないと思うのですよね、私は。
人は大体、かなりの思い込みで生きている。確かめてもいないことが殆どで、だけど、それを無意識に”確かなこと”として、信じるという意思をわざわざ持たなくてもそうある。
”思い込み”が大半であるなら。
思い込みという真実でないこと、”ウソ”で殆どをこなせてしまうのならば、「良いこと」を選択をしても理屈は同じこと…なのに何故だろう?それを私たちは大体やらない。
な~んだ。違うのか…。
自分の期待がそうでなかった事により、傷つくのが私たちはかなり怖い。ショックだし、バカみたいだし、ほんとに腹も立つ…自分自身に。
”な~んだ、違うのか”は、ほんとかね。
そちらはしっかりと”確かめた”結果として”な~んだ”があったとして、元のチェックもかけたことのない方は、もっと怪しくないかね。無意識で行っている”ウソ”の方がクセが悪い(笑)それによって、ずっとその世界を見せられるのだから。
私は今だに脳内に”花畑地区”を確保している。しっかりとそう思って(思い込んで)、自分自身を洗脳してやる為に(*^^*)
どうしてそう思うことが”普通”になってしまったのか、というのは、誰にとっても小さな頃の環境が大きくて、そう言うことを今ここで言っても始まらない。
あまり良い環境じゃなかった/恵まれていた、と分かったら、自分が進みたい方向へ舵を切っていけるのが大人の航海。私たちは、気づいた所から進んで行けるのだ~ん。
・・・
内容は真剣に書いているけども、少し引いて見てほしいのは、この具体的な内容は、そのある範囲に適用するだけで、引いた所で見たものが”〇”という風にザックリと捉える。外側まで”詳細に”捉えてしまったら、・と似たようなものになってしまう。
こういう事だから。
言葉で現されたことを、すべて理解できる”このアタマ”で解釈の内に収めてしまうと、そこがまた詰まるだけなので、理解するために捉えたら、”大丈夫だ”という事の方へ気を流してしまった方が空白が多い。そこに”自分の知らないこと”が無限にあるから。
「”自分が分かる範囲”のその外側」が、実はいつも自分を包み込んでいくれている。無意識という全体側。自分ではよくは分かっていないけど、分からないものは”分からない”という処理がベスト。分かる範囲に持ち込まず、”分からない”を呑んでいく…。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!