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偶然たまたま・必然、からの~

(偶然たまたま、ちゃんとシンクロします( *´艸`))


買い物帰りの車中。
スマホで目にした文字から口にした。

『よく、”偶然とか必然”って言う表現があるでしょ?私は、それは”同じ”という表現をするけども。Yさんは、偶然・必然ってどう思う?』

何か奥から引っ張り出すでもなく、運転しながら、当たり前にスラスラと説明し始める主人。自分の中では”こういう事”というものがハッキリとあるようだった。


ただ残念だったのは…。
その話を聞いている「この私」の意識が違う所にあって、一つも、ひとっつも具体的にその話を読み取れていないので書けないという事(笑)

書く前に主人に再度説明してもらおうかと思ったけど、別に良いか…と思い、その話を聞いていた私の世界の言葉になって以下流れる。

【あー、なるほど。。そういう事なんだ。Yさんのその説明を聞いていたら、矢印の向きが場面で短く替わったように感じた。”偶然”の話をしている時、向きはずっと→→→…、ずっと続いてた。それがあなたが短く”必然”の説明をした時、瞬時に矢印がこっち”←”に替わった。そしてまた続けられるその説明は、殆どがこっち「→」の向きだった】


これだから主人の”話”が、頭に残っていない。向きという記号を感じている。言語で説明されるその言葉の”雰囲気”で、向きを感じているとも書ける。言葉に向きがついている訳じゃないから。

どうしてその解釈(向き)が出るかは、私の感覚なので説明するというより、そこから私自身が自分も含め”解釈”する為に言葉を少し加えていくと、こんな感じ…かな。


偶然の内容の説明をしている時、何も”確定”していない世界(空間)の中を進んでいる(そう感じている)感覚で語られ、必然という言葉を使う時、何か”固定した”もの?位置?状態?からその事を観ている。
(↑これは、”観ている”と表現しながらも、その対象側を固定してみているのかもしれず、この判別がちょっと分からない、同時に言えること)

ニュアンスはこれだけ。

コトがなにか、分からずに進んでいる時というのは、現時点でなにも”確定”ができない。それを確定する様な言葉で断言できるという事は、何某かの「固定した」存在がそこにある、ことを感じた。


これは、主人の話その内容の正しさを表現しているのでなく、「何か固定したもの・所から」というニュアンスだけを感じている。だから向きという方向、「矢印」で言葉の向き=主人の説明している時の「(主人の)目線の流れ(動き)」を、私がそこに感じたように思う。(これだもの話は頭に入ってこない(;´・ω・))

もっと言うと、ここで私の説明に使っている、進んでいるという”感覚を持っている”だけ、振り返ってみたという”感覚がある”だけ、という事だと感じる。主人にその説明をした時も、矢印の長さ・向きを手で表現したのがメインで、それを補足するように少し言葉があっただけ。

内容じゃなくて「動き」を視ている(感じている)。それを元にして、この表で使う”言葉”までこうして色々、様々に結び付けてきたとするなら、人はとんだ長旅をしている渡り鳥、だと思った。


ある一方向へ進むことがいつの間にか当たり前の習慣になってしまっているのが人間なので、この転換がとても難しいのだと思った。

それぞれの”流れ(向き)”の中にしばらく浸り、その上で矢印の向きのバランス?(量的に?)が同じようになると”どちらも同じ”という感じが掴めるのかな…?

言葉はただ、たまたま”あるもの”が表に現れて、それを見た者の”位置”によって反対に観えたから、次にその反対の言葉が存在して。元々は、「こちら」の目線の話、位置・場所だったものが、言葉、反対の意味を現す”両方の言葉”が表に出たことによって、こちら「見ている者」の位置が分からなくなってしまった。

接している時、その面はどちらも「同じ」ものだから。その同じを見分けるために、ほんの少しの違いしかないその差を現すために、”反対の語”があったとしたら、言葉は随分とその差を事実以上に拡げてしまった、ようにも思う。言葉にはそうしたものが含まれる。

見ている者によって、その言葉のつけ方は違う。その言葉は、見ている者の考え方、その場所、とを表現しているに過ぎない。そうは分かってもそれを見聞きした時に、自分の中で何か反応があったりするので複雑になる…。


”振り返った時に”モノ(コト)は確定する見方が顕れる。”ここ”という所から見れば同じ。ほんの少し角度をつけたら必然、ほんの少し反対に角度をつけたら偶然。モノコトを“軸”の前に持ってくるか後ろに持っていくか…で見え方が替わるように思う。

・・・

夜。やっぱりもう一度聞いて確認した。
主人の説明は、(主人の考えとして)聞き直して捉えても理屈は通っていた。主人は「全部必然」という考えだった。

その説明を聞いていて、「私がその時に捉えた向きとは”逆”だね?」と口にしたほどに正反対だった。「うん、あの時”逆”と思ってた」と、主人の感想とも合っている。(【 】部分の私の感じた内容は、”主人の話”から見ると逆に見えるし、言葉がバラされた状態で感じている所から見ると、”その現象”はやはり、【 】の感覚でいいと私は感じている)

これなんだよね、多分。

自分の意識をどこに置いてその内容を見ているか、によって向きは変わるので、主人の話を集中して聞いていて、少し言い方を変えて訊ねると、「そう」と言う。どこを”決めているか”ということ。

その主人の話を聞いていて、「コーチングと重ねて視えたよ(感じたよ)」というと、それも肯定した。ただ(この話では)、到達の設定を意識していない単に”ナニカ”というものへ向かって動いているから「必然だ」と言っていた…、”無意識部分”のハタラキ的なニュアンスで。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!