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記憶から探す”自分”

どう言うのか。
結局やっぱり、「自分」というものの中のコトを、表に現わすための様々な出来事を選択している―――。

選択している、という事もなく、”引き出されるもの”を知っているかのように。


7/19メモ

自分の中の「何」と繋いだのか?
「何」の部分に反応し、自分の出力がなされる。

「(自分の中に)ないものは現れない」というのはその通りの事なので、”結べる「何か」が”、そこにあるという事。

また、分けずにただの連なり、自と他による連携と見れば一連は”他者”という外のものではなく、この「”自分”に起き続けているもの」という流れとして捉える事ができる。


7/17メモ

”シンクロ”という言葉を多用してきて、今日もソレというものに対してシンクロと思うものの。

それが段々と普通の事となり例えば、自分を”内”とし、自分以外の他者を”外”とするならば、その内外のどちらともない循環が、一本線で繋ぐスムーズな回転になる様な、とても滑らかに回っているように感じた。

それは例えば1対1の間における話でなく、私の”周り”の複数は絡みながら、ある他者1は時に自分の一部と同様の見方がなされ他者でありながら、また別の他者2の情報を、”私”のこととして観ているという事みたい。


”私”という目線は保持しつつ、また別に他者1-2間の事として観つつ、あれこれが分割(?)されるかのようにシーンを見ている。

またこれら別々の事として観ながらまた今度は「私」という大きく全体に視点をのばし、世界(空間)を広げてみればやはりそれは、それら全てが「私」という世界であることも視えてくる。

・・・

別々の話を少し括りながら書くと、”自分”という意識、目線がアチコチに”移動している”という事がわかる。だから使われる”同じ言葉”の意味から考えてしまうと場面によっては”逆”の表現をしている。

他者を自分と言ったり、完全に他者として扱ったり。

自分と言う「人」は、他者の事を同じように捉えたり、全く別ものとはっきり分けたりして考えるとなしにその様に実際に行っている。


肉体は確かに「別もの」という事は確実に認識しつつ、ソレを観ている状態の意識は、一緒にしたり別にしたりと場面によっては実に多く絡み合っている。

自分の意識の向きが内へ向いている時(無意識に)、初めのメモのように他者を映しながらそれは省かれ”自分の流れ”として捉えていて、もう一つのメモは、始めは完全に外の出来事(他者間)として観ていたものを、後に大きく引き目線にして「私」として見える所で観ている。

元々は完全に”他者事”(実際の出来事も私事でない)で、そこに見るシンクロだったのだけども、自分の範囲まで目線を上げてみると”私事”の一部を視ている様に変わり、メモ内容は地点によってクルクル変わっている様な所がある。


そしてここに移しで読み返してみると、”読む立場”として目を通しているので、「それに合わせていく」事でしか、この自分でさえも理解がしにくい所がある。

メモ内容は、その時の湧いた状態のままを”思考”に突入するまで(手が止まるまで)、書くことも多く、それは体裁も何も関係なく書くので後でこうして読むと、自ら”その時の扉に入って行く”という様な行いが必要になっている。

メモに書いた事は時間をかければ大体”その時の様子を「こういう事かな」と理解はできるのだけども、冒頭のに繫げてまとめてしまうなら、自分の「中」にあるもの全てを具体的に把握する事は全くできないけども、外の何かに反応・反射が出るという事は当然必ず、自分の中に気づかずに存在している”引き出し可能なもの”、という風に思っている。


6/28メモ

記憶にすがれる安心。
それを拠り所として、少しでも自分が”安心”の状態でいようとする。逆に言うと、それだけ記憶がなければ不安という事なのだけども。

そもそも、本当になんのメモリーもなければ、不安も苦も無く、そんな事の状態の良悪、快不快なども、何がどんな状況になっているかさえも分からないものなので。

何か苦以外にも、他の感じるモノ・コトがあるという事は、既に何某かの記憶がある。必ず”なにか”に紐づき縛られて生きている人間。自由でありたいそんな”コントロール下”にあるような状況でも、それに違和感なく「従える」という事がある。意外とこのケースは多い。


それはちゃんと自分の”中”に、それによって達成される、得られる”報酬”があるから。

自分は知らなくても、脳はその事をきちんと知っている。だって司令塔だもの。

・・・

全く意識などはされない事だけど、この記憶があるという事で安心が担保されている。

いつだったかもう大分前の朝の起き掛けのこと。
夢の臨場感が非常に強く、目覚めた時に”自分”の状況が分からなくなった事があった。

その時は(確か)、「前日は雨で散歩に行かなくて…」という様に、理由は分からないけどそんな自分の”行い”から「何をした、どういう状況、そして今日は…」という風に”この今”への繋がりを記憶を辿って確かめていた。

本当は連なっていない、記憶によって繋がっている連続。その情報である記憶のお蔭で、この自分という事の安心が得られている。


追)
なんっか、”電気系統”がおかしいかな…。

もう、それだけ(*‘∀‘)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!