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旅をしていく

「反対」に振れていく旅。

もらった環境を活かし生きて

ピタッ と フィット

そして

反対への冒険の旅がまた始まる

天から見たらそんなものはほんの一瞬だ

私たちはもの凄い長い時間をかけて

気づき、生き、終えていくようだけども。

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”大切なこと”ほど、確率の少ない方へ動く。ここに道がある。
視えない方へ動け。ここに未知はある。

ちょっとまとめておきます。私の独り言です。

そして、読まれる方々の受け取りに、かなりの幅が出る内容になります。

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視るとなしに視聴していた対談話。その中で上記の事を言っていた訳じゃない。「確かにあの時、私はみなと違う方へ動いた。反対の選択をした…」と、私の経験を思い出していた。

危機的状況というと大袈裟だけど、「どちらでもいいよね~」と言っていられない災害のあとの行動判断が思い出された。「どうしよう」という迷いなど一切なく、真っ直ぐにそれを選択したのは「本能」と思っている。

そんな事が朝一の出来事。

色々な人たちが色んな事を書いてくれている。その中でひとつ、書かれている物事(内容)を言葉の説明から理解しようと”見ている”状態から、ぼわ~ん漂った一瞬。

(ん、?なんか掴める…)

そう思ってソコに集中しようとすると消えたから、「そうか」と思って、本文の解釈に戻った…

すると上がって来た。おんなじこと言ってる。さっき捉えた事と同じ事だ※この道に未知はある。


※この世界からみる”見える世界と視えないの世界を書いているような話、なんだけど、私が自らの中を感じるのは、アタマの中で探してきた情報。潜り気味の所にいたモノを記憶からではなく、流れで引っ張って来た感じ。

「この状態にあれば流れてくる」

と、どこかで確信のある”放置”の仕方。これは以前にも全く違う状況で同様の「引き出し方」をしたのを思い出した。

記憶自体を取り出さなくても、「その状態」を創り出す事で、感覚的な記憶から情報を引き出してくる。そう言える事だった。

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なるほど。

狭く見れば”役割”はある。人だからある意味、活動場所(地球)は変わらないけど、、。

「決めない在り方」はいいね。

なぜか?

一番自由だから。”極端”に行って「決めない」じゃなくて、どちらにも行ける所で決めない。

それは逃げにも使える、攻めにも使える。まさに両刃。

更に、自分の意志で動くか、環境の偏りによって選ばされるか…。

どちらにしても動ける状態にしておかないと「動けない」のだね。


(個人的感想)

自分で書いといて感想も変だけど(笑)、やはり「雲のカタチ」のようなもので。

”周りに合わせる”という、人間の考える様な迎合的スタンスではなくて、数ある自分のカタチの中からソレに合うカタチで合わせる、という事。自分のカタチの1つだから無理も負担もない。ただ柔軟。

たくさんのカタチを持っていながら、自分から出さずに「合わせる」というスタンスは、自ら出していくというスタンスの人からしたら「?!」なのだろう。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!