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型抜きガムの…

【遡っていくと、非っ常に眠くなってしまってちょっと困った(笑)】

今日の内容は、少しおもしろいと思います。


1陣目のワン散歩中にいた空間を、帰宅時に書き留めようと、メモできたのはごく一部。脳の後ろ側の…奥の…少し下側の方にあるのだけど、「書こう」という引き出し方では、私の場合出てこない(*^^*)

2陣目も終わり、少ししてからさっきの一部メモを眺めて”入る”姿勢をとる。その準備のため、過去のメモを幾つか読んで脳内で結んでいると、”意識上”ではとても難しくて、酷い睡魔に襲われた。


はい。

脳が”その様な状態”を作ってくれたので、ここで私は意識的に「やらない」を選択せざるを得なくなる。これによって、アタマ、”自覚できる働き”は弱まり、あちら側からのものを受取り易くなる”環境(状況)”が出来たという事。

”受取り”と表現はするものの、表の意識が弱まっている状態なので、自ずとそれ以外の部分が張り出すイメージ。

”あちら側”を引き出すとか、こっちから”行く”とかしなくても、状態は作られれば、目的にあった”世界”には行ける、ということ。


ここで少し補足すると、実際に今このnoteに書いているのは(前日書き)、冒頭に書いたメモ絡み又は、私が探そうとしていた”モノ”とは全く異なる内容。一見それでは”意味がない”と思うでしょう。そしてきっと、この状態を人間は嫌がるし、気持ちが悪いと表現をすると思う…、思い出せなくて。

慣れない感覚は気持ち悪く、時に非常に不快だったりするもので、当然だし何としてでもアレを引き出したい、思い出したいという衝動に駆られるのだけども、「アレを手に入れたい」からこそ、ここで手放してしまうという逆の選択。


「しっかりと追いかける(入手する)」。これは、私達が目に見ているこの「現実世界」の話に於いては、とても大切で重要な行いなので、その範囲に於いてその行為は肯定しているのは前提の上で続けます。

「アレ」というのは、自覚する”自分”が見ているもので、それは確実に「認識されたもの(されているモノコト)」という風に捉える。自覚できるという事は、全体の中から一部の何かを切り離し(切り取り)、気づく、”分かった”状態のもの。


その切り取ったもの以外の「ガワ」の方が、探したいアレ以外のモノ(コト)というもので、こちらが大きな「全体」に当たる場所。通常この場所を私たちは”見れない”、「私」という切り取った世界でしか私達”人間”は通常生きていないから。

で、で。

この現実世界の端っこ迄、目一杯行って掴めなかったならば、その”拘り”からスルッとその瞬間に抜けてしまう(しまえばいい)という在り方の話。次元の違う所に正面から行こうとしてもちょっとムリだから。

それより、こういう場面に出会った時に、このパターンを繰り返し経験して”身に付けてしまう”事で、向こう側のモノコトを掴む「感覚」が何となく分かってくる学習に変えてしまう。


私達が”アレ”を入手したい理由は、確かにこの”自覚側の自分”にとってはあるのだけども、それは大概完全な「自己由来」のもので、例えば今回の私で言えば、その理由は、

⦅すっごく良い表現だった!忘れない様にメモしなくちゃっ⦆

と、私が思った事によりnoteで書きたい、と思ったから。


この後に書きたかった同じ”表現”が現れるかどうかは、はっきり言って分からない。この状態に出くわして間もなくは、勿体ないなぁと思う気持ちもある。

だけど、今までの経験からいくつかの可能性は視えていて、

・まだもう少し詰まる(詰められる)から現時点では上がらなくていい
・この後に迎える”何か”と結びつく可能性があるから、今のままでベスト
・私が探したいアレ、よりも上記に書いたコトの方が、記事的には良い、私にとってではなく、全体にとって

という事などがある。


率直に言うと、この3番目が特に私が「そうだろうな」と解釈するもので、今までもその様にして、自分が書きたかったもの・方向からズレたものでも、それがきっと「そうであるから」、と小さな自分をその場で消してしまう選択をしてきた。

もっと言うと、私が「自覚」しない方向からの”選択”なので、選択でも何でもない、ただその様に「行う」という流れなのだけども、このパターン、色が濃くなって学習が重なると、このやり方も”気持ち悪い状態”にはならない「自然な運び」となる。

もうワンプッシュすると、当初のアレが本当に必要であれば、必ず再び何らかのカタチで上がってくるので、待てばいいだけ。上がらなければ”その程度”という考え方をしている。


因みにメモした一部を書くと…、

《土用ミラクルか、23~24日ミラクルかどちらかは分からないけども、”重なった”事による「あちら側からの視え方」。

”何も変わった事を言っていない、既出の文言”で普通の言葉だけど、視ている角度、入り口が違うという事。》

とした。

メモ帳を確認しながら打っていた、上記の場面(イメージ)で、少し散歩中のシーンが引っ張られて出てきた(笑)

表はフェイク。世に出たがっているモノと、出したいと思っているソレは、異なるのかもしれない。少なくとも自覚意識で考える”優先順位”とは異なるのだろうと思う。

☆  ☆  ☆  ★  ☆  ☆  ☆

先日、オーケストラの演奏によって生成AIが創り出す映像のシーンをTwitterで見た。

もの凄い感動をしたのだけども、その時私は子供の頃の「夢」を思い出していた。

マーブル模様、グニャグニャと混ざり合うウズみたいだったり、とにかくグニャグニャと映像が動いている夢。私が小さい頃に何度も見たその夢は、AIの様にカラフルでなく茶系のそれで、私は恐くて何度もウナされ、その度に母は私を安心させてくれた。

私達が”自覚上”記憶している事と言うのは、比較的近代的。眠っている情報は確かに沢山あるんでしょうね・・・、この身体の中に(*^^*)


そんな強烈な睡魔の中で書き終えました(笑)

途中からきちんとアタマが醒めている事が分かったし、何か現実的な”動作”に入るという事は、「この世側に戻る」入り口でもあります。

「ミラクル」、楽しんで頂けましたでしょうか(*^^)v

作り話ではありません。この数時間にこの脳内で視たものを、言語化した”ヒョーゲン”であります!

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!