見出し画像

”そうなる”というど真ん中

では、昨日告知の通り『自分自身に対しての信頼』の掘り下げを少し書いていきます。

、、、とか言って大したことないです。
ただ私が「そうか、そういう事か…」と感じたものを、いつもの様に言葉にして言うだけなので(*^^*)

そして、どうして私がいつも結構な割合で”こちら側(の世界)”に長居するのがあまり好きでないのか…なんて事も、昼寝の起き掛けのアタマに、ほんの少し感じたりもした。


『自分自身に対し・・・』というのは、やはり言葉を後で付けたに過ぎなくて、そんな事は全く意識もされず、その状態を観た時「そう言えるかな」と思ったもの。

少しかなり遡って補足すると、私は今までの自分の経験からここで発信していた内容は、「自分の中に極力、摩擦を起こさない事」とよく書いて来ていたことと関係します。

自分の外に”正解”がある。
世の中の誰か”凄い人達”の言っている事なら間違いない、だって成功者だもの…。

深く考える事を知らなかった過去の私が、色々を知っていく中で「正しさ」が分からなくなり、広い世界に大勢いる”その人達”の言っている事は、同じじゃなくてマチマチで。本当に分からなくなり迷い、混乱した。

「正解・正しさ」を探そうとしているうちは、このループから抜け出せず、またその裏の前提としてある、「自分自身をしっかりと信頼できていない」という事により、”自分の考え”を外側と合わせる事で安心を得ようとしていた。

それはそれで良いけども、この場合のそれは、「自分のなさ」なので。人は全ての方面において自信を持っている訳ではないので、外を見ながら自分の行いを見ていく事がなされるのは良いけども、この状態は中身が違って宜しくない。


そんな、極度に不安定になった自分に出てきた言葉は、

【そこにいてみ。あちこち行かなくていいからそこにいてみ】

突如湧いた言葉だった。

その時そこから私は、”私”が迷う時、不安定になりそうな時ほど、それを強く意識するようになり身に付けた。

不安から来る「動きたい」の時は動かない、答えを探しに行かない。これらを徹底して、自分の中に居続けた。それらくり返しの結果に「必要な情報はきちんとベストタイミングで届く」という事も確実に手にしている。


その様な経緯があって、私はとにかく外の正しさと思われる何かより、凄いと言われる誰かより、「自分を優先にしていく」という事を他者に向けても発信では強調した。”自信がない”と言うだけで、外を安易に信じる必要がない、と考えたから。それが「自分の中に摩擦を起こさない」ということ。信じたくなるような”人”でも、他者より自分を優先にしていい、という考え方。

自分の経験を通して納得のできた「方向転換」だけが、外にも”正解があった”と感じるもので、自身の経験を経て「”誰か”の言っている事は本当だった」と納得できた時に、自分の中の摩擦はなくなりすんなりと認める事ができる。

そういう「自分」を許容してくれる他者の存在を知った時、今度は逆に自分もまたその様に、別の他者を許容する事ができる…、という様な内容だった。


外側はそんなに変わらなく見えたとしても、内側では変容がなされている。それが「状態が変わればそうなる」というように表現する所で、何かを行い続けていると、それが自覚側に”ふ~”っと上がってくる。それを拾うわけだね。

水面下だったものは、通常は”こちら側”では見えないし分からない。掴めていないだけで、何かはいつもそこでジワジワ、グニョグニョしているのかもしれない。見えないから何も起きていないと私たちはそう思いがち。

だけど、こちら側で感じるような所まで上がってくれば、”掴む”ことは出来る。何かをし続けていると、”そういう経験”も何度もする様になるので、「行うこと・それと決めたものをやり通すこと」による”効果”も深い所で感じるようになる。だからまた行い続ける…という自然な循環もできる。


それら「全体の流れ」全てがこの私が動作しているもので、それに疑いを持たなくなる「信頼」。

「自分を信じよう」という心の傾けレベルでなく、「そうなる事の自然」という所。そんな事を、「時が来ると、それは自然になる」とか「その様になる」などと表現、ラッキーの域でなく「到達して当然」という所へ。

その時ここには、「当然」しかなくて、自惚れも謙遜もどちらもない。ただ「そうなる」というど真ん中だけの感覚。それらの表現を「信頼」とか「ガッチリハマっていく」などとした。

言葉は”こちら側”で付けたもの。
そう感じたコトに近いニュアンスを持つモノを充てている。


表側からでなく、内側から自然な形でグラデーションのように変わっている。恐らく”流れ”を観ていなければ、後で気づけば変わっていたとか、「急」な変化と感じるのかもしれない。

多分恐らくきっと。

コトと言うのは、私達が掴み取る事ができないだけで、ほんの少しずつ変わり続けているのかもしれないね。

・・・ 

冒頭の、「”こちら側”に長居するのがあまり好きでない…」を簡単に触れると、こうして内側のことを観ている(視ている)のが、非常に楽しいから、表側が”つまらなく”感じる所がある。

こちら側は、様々な感情を持って喜んだり泣いたりする事ができる世界なのだけど、いつからか、それはとても短い出来事のようで、何と言うのか・・・。

そうか。また思いついてしまった。

”それはとても短い出来事のようで”

私は、長く続いて欲しいと望んでいる訳だ。それが少しでも長く叶う”見えない世界”に居たいのか。

ここから観えた景色は…、また明日という事になりそうだ。


あーーっと、音声録り忘れていました( ;∀;)
お昼に予約投稿します!

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!