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意識の移動

いつだったかーーー。

夕寝の中で、”外”=現実世界を、遠くに感じていた。トランス。

ワン達が動いている…騒いでる…、とかなり遠くに聞こえ、感じている。

目覚めている時は、”あちら”を外、のように感じているけども、それぞれの世界は入れ替わったりしない。

ならば。

この私たちの意識が、アチとコチを行き来している、という事だね。

それとも?

こっちの意識と、あっちの意識と、別の意識があるかな。それならそれでそれらをつなぐモノが必要になるね。

移動してるのは「自分」だよね。

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そんな事を前日にアウトプットしたからか、今朝のメモに繋がっている、と薄い線がみえる…。

(メモ)

そのお蔭で”芸術”が生まれる。

自分の生い立ちという人生を、大きな大きなストーリーの為の「材料」、と、今またここで思い出させられる。

そんな事の事実など確かめようもなく、真実かどうかなどもどうでもよくて。

このアタマの使い方になったのも、過去に病気をしたのも、大きな意識で観ると、その様にしか観えない。

現実世界だけのスライドで動き回る事の厳しさ、(スピ的スタンスが)逃げるという手段から、その世界でも生きられる、という拡張へ。今朝はそんな事を思った。


”逆から見る”という事が浮かんでいたから(思い出していたから)、このように繋がったように視えた。

その、「大きなストーリーの為に、この人生は、私は、この歩みをさせられた・・・」

(※意識の場所が違うと、それを自然にその様に表現する、という意味)

「  」の部分の”異訳(私の造語)”が、人生は決まっている的な、一般スピリチュアルの表現、と言える。

かなりかなりの端折りでの、”決まっている”という表現なのかな?と想像する。


今、私自身の段階が、その様に思った事を「そうだ!」という強い確信を抱かないから、「そうかもしれない…」という言い方になる。

その思いが強い人もいると思うし、ただの完全な”思い込み”の、「そうだ!」もあり、色々なんだと思う。それは本人より、それに接する他の人の方がよく視えるもの。

”ストーリーの為の材料”、と思った理由は、

子供の頃に、何度か母に理解されなかった、という記憶は、その後の私の人格形成、心理に大いに影響したのは間違いないけども、そこはそこで対処を終わらせ、もっと大きな流れ、自分の意識の拡大・成長と共に、それすらもまた、今までと違った、ただの『点』になる(かのような感覚)。


頭の使い方など様々なのだから、独自性が個々にあって当然。個を踏み固めた社会はフォーカスするほどに自分を縛る。

”両方”の理解が少し深まり、やっと正しく、この現実世界を薄めて観る事が出来る、

ゲシュタルト。

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もう、全部、ぜ~んぶ。

以前にスワっと触れた文言。その時は詳細など判らず、”感じたまま”、”上がってくるから”、を基本に書いて来ていた。

今、それらの深掘りがなされていて、実体はなくとも”実感”のように言葉がついていく。

そして世の中の殆どが、大事な部分の中抜き、”結果”だけのインパクト。そこに魅かれるように私たちは惑わされる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!