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地球って素敵よネ(*^^*)

F1の予選でポールポジションを超の付く僅差で逃した若きエース、フェルスタッペン。

その”結果”をTwitterによって知った私は、それに対して「ヨシ!」と反応した。

F1の事は、全て事前に何も聞かされたくないと、頑なな我が家の主人。その為、何度もハミルトンの事を口に出しそうになるも、「おっと、いけない…」と呑み込んだ(笑)

『予選、もう見た?』

いつも少し遅れて全てしっかり観たい主人に、聞いた。

『私はさ、それを”ヨシ!”って思ったんだよね(*^^*) だって良かったじゃん、嬉しかったでしょうよ、久々だもの』

「その時オレは、”クソッ!”って思ったよ(笑)だってほんと同時だよ、本当に僅かだったから」

2人ともが応援するフェルスタッペン。

ただ私は主人と違い、やっぱり”ストーリー”によって、その時々で応援したい人は変わる様な気がしている。


触るまで少しドキドキしたけども。
本日は(昨日のこと)、いつも通りにパソコンの文字変換が出来ています(笑)

一体何なんでしょうかね。
こういう時、私は、昨日の様に”強制的に終了したこと”を、”それが良かった”という風に肯定してしまいます。

なるべくしてなっているんだから。

・・・

(朝、ザーッと書いていたものを昨日のメモから)

大分絞られてくる―――。

私達が各々に素晴らしい”機能”として持っている意志・意思。

これによって自分を引っ張り他者をも導くことは出来る(と一応いう)。その意志…、いや。”意思”で書きます。

その意思はもちろん”逆”へ引っ張ることも可能なわけです。無意識に操作されるかのように、逆とは思わせずに、冒頭の良い方とは”別の方向”に。


両方の意味はある地点では”同じ”ことであり、同じ意味を持っていて、きちんと機能という所では仕事をしている訳だ。

で、”逆”と感じる事も、何か誰かによる主観、一見は全体の意見かのように見える”基準”によるものなので、”仕事”としてはやはり完ぺき。


理解を少し現実側に寄せて行きます。

意思によって未来へ向けて、意思によっては過去または現状へ引き戻される。同じこの意思というものを持ちながら、それをその想いままに使うと、その”両方”が発生するという事になる。

その”結果”を見て、私たちは「こんなもの、望んでいない!」と受け入れを拒否する。そしてまた今までと変わらない”意思”の使い方をくり返す…、即ち同様の結果の中でくり返し、その空間から出られない。


前へ引っ張るのも、後ろへ引っ張ることも、意思は機能として簡単に働き、そしてまさかの自分の意思が、自分自身を食い止めてしまう事をするなんて信じられないこと、なんだけど結構あるわけだよね。

この意思をなくす事は、通常はできない訳で、ただ少し弱くする事は可能な事で・・・、自らに横ヤリを入れてみるという事。

その横ヤリは、意思に”チャチャを入れるスタンス”を持たせ、意思の延長では”横”にはならないので、横からきちんと差せるように入れる、という事かね。


更に崩して言うと、感情(的)と思考(考えること)の話を書いている。

そして途中から意思という言葉の中には、”意識”という意味合いを含みながら使っている。

感情(的)という心の働きは早いから、そのまま動作に移すのではなく、一度思考の横ヤリを入れてやって、自分へ問うという”一拍”を入れてあげる、というアクションで、「自分」の衝動から少し距離をとる、ということ。


どこかで書いたと思う、「できるだけ”自分”から離す」というのは、自分という狭い範囲で選択をくり返している私たちの日常を、少しでも、何回かに一度でも、その範囲の外に出た場所からの選択、行いになる様に(したい)。

自分の存在は十分に信じ受容れつつ、だけどもっと大きな自分も外側に占めて待っているので、少しでもそこへ手を伸ばす。そうしてこの”自分”の範囲が自然と拡がっていく。


”一応いう”と書いたのは。

毎度の事ながら、こうして書き連ねている部分というのは、ある場所・箇所の説明であって、大きな所から観ると、これらのこと「全て」は、それで”ヨシ”、と思っているから。

人生の結論で言うと「何でも良い」訳で、そしてそのひと言だけを書くと、あまりにも範囲が広く、またそれに対しての説明が始まる(だけ)。


何も知らない人が不幸な訳じゃないでしょう?
考える程に”難しくなっている”わけでしょう。

”考えない”とする事は、進化した私たちには、古い人達が持ち合わせていなかったであろう”恐怖”になっている。

その、”考えること”がそのタネを作っているとも疑わない、人間が高度な事を考える事によって生み出されるモノがあるという事だよね。


そして同時に。

でもやはり進化によって手に入れた考えるアタマは、しっかりその場面では使ってあげたい。考える”役割”を発揮させてあげる事が、「私」という存在の意思によって思考に繋げ、それが導きになるとなんとなく思っている。

意思も使い方。散々観察し続けた後は、ただ湧いてくるその意思さえもクリアに見え出す。

そう思っちゃいけないんじゃない。

そこからきちんと”考え”にバトンする事で、身近な”自分”から少し遠い外側の自分に、手渡せるのだと思う。


決勝レースは流石のフェルスタッペン。

見事。チームは連勝記録を破り(更新)、トロフィーは破壊され(笑)、それすらも明るく笑って止まらないシャンペンシャワーだった。

勿論、この”結果”を主人は知らない(笑)

・・・

初めに書き出した枠内の最後。そこに隠れている(現れている)ものを、奥側から拾えると思った。(これは後日書くかな)

そして、という事は…。
結局、誰でもそのモノガタリを応援したくなるのが人なんだと思った。自分も応援されて、誰かも応援されている。

悩んで考えて、迷ってウネウネして。その蛇行が私には最高にステキに見えるんだよね。

スマートな直線より、その蛇行でその後に勢いがつくんだよね。

誰かのその姿、そう在ることが、その役割を果たしていると思います。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!