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見つめた自分

これは先日、主人との会話で出てきた「自分の事」です。

〈前置きの会話内容〉

私:ねぇ、私、かき揚げうどんにするけど、食べる?(と聞きながら心の中で『作ってあげるつもりないけどヽ(^。^)ノ』って冗談を言う準備をしていた)

主:食べる!

私:作ってあげないけどね、

私:ウソウソ、作るからね(*^^*)

主:今のは、ちょっとタイミングが早すぎじゃな~い?(^。^)

会話はこれだけ。この後の自分の中の事をノートからnoteへ。


7/9ノート

○○さんとの会話に”自分”を見た。相手に残念な気持ちを感じさせたくない、”かわいそうな思い”は、一瞬でもさせたくない。私の中にある深く、強いもの。

簡単には消えないんだな、、、深いなぁ…と。

思うと同時に、「だから、人に優しくなれるんだ」とも思った。そして更にそれが、「自分を犠牲にしてでも」、この域まで行ってしまっている。

こんな事がザーッと観れた。そしてもう一段。”残念な気持ちを感じさせたくない”という、一見良さそうな私の心は、相手のあり様をコントロールしている、という事にならないのか…、そんな疑問さえ湧いた。


実際に○○さんは、「そんな風に(ショックと)思わないよ」とは言ったけど、冗談が通用しないヘンクツな時もあるから…と説明した。

とにかく、「人にかわいそうな想いをさせるのは苦しい」と感じてしまう。ココ、ポイント。

「期待をさせて下げる」という事を避けるという事から、”もしかしたら自分へも期待しないようにしているのでは?”と思ったら、あながち見当はずれでもない様な気がした。

(期待から期待外れのショックを防ぐため、端から期待しない、という事を選択するケースもあるだろう、という意味)

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人に残念な気持ち・かわいそうな想いをさせたくない、はもうストレートに母親との事。何度も触れてきているけども、私は小1の時に両親の離婚により、大好きな母と離れてとても悲しかったから。

これは、無くすというより、活用へ持って行って良いと思っている。”キズ”としては癒しているので、涙が出る事はないけども、沁み付いた感覚は、人のソレに非常に敏感になっていると解かる。

必要以上にかわいそうがる事もないし、主人のように「なんとも?」と考える人はいる訳で、それは私の中に「引っかかるモノ」があるから、自らの言葉に反応した。


で、「犠牲になってでも」という感覚はちょっと引っかかる。このスタンスは、私は何気に多いと自覚している。他の人がかわいそうな想いをするくらいなら、私が誤解されても、理解されなくても別にいい、と思っているから。


更に、相手のあり様をコントロール…って。”コントロールをしない”とは言うは易しで、気づかずしている事などが殆ど。

私自身は、「良い方へ導くなら良い事」とは考えていないので、私にとっては、『相手の状態を自分の思う方へ誘導しようとしたわけだね?』と気づいてちょっと、(*_*)な感じ。


私が、私の考えで、主人の選択を予測し、そっちへ行かないように・・・、私自身への働きかけじゃないでしょ?これ。

私は今、ココに挑戦している最中なのです(*^^*)

これを、相手に気づかせないで行う方を知っているので、プロ中のプロだなぁ、としみじみ感じています。

私のイメージするに、やっぱり”対象”には直接触れずに周り、周囲の見えない部分への働きかけ(私にはどうしても”氣”に見えてしまう)なんだろうな、と感じています。


普段は何でもない日常をシアワセ~って暮らせているけども、自分と向き合う事はひょんな事から出て来ます。そこを無視せず、自分の中を掘ってみる。

いつもいつも、何かを見つけるように向き合わなくても、緩くても長く続ければ必ず自分への力、自信になります。


〈私が、私の考えで、主人の選択を予測し、そっちへ行かないように・・・〉

私という我を抜く必要があるんですよね。

まるで、神託を降ろす時みたいでしょ(*^^*)



「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!