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重なる情報はヒントに

私が過去に、「人は知っているんじゃないか…」と表現した事が、また少し色濃くなった。

色濃く…、言葉として書きやすくなった、という事か。

「人が知っている」というのは、境界を越えての様々な体験・経験から「学ぶこと」というものが、又はその流れから確かに「見えてくるもの」が、きちんとした学術とも「合って」くることから。

その流れから掴めること、感じることというのは、個人の感想を抜きにして観測するる状態の中に、同様の”共通”がしっかりとみえてくる事によるもの。

それらがボチボチ色んなケースで出始めると、”体験”というものから直接の”学習”はできる、ということが言えてくる。

またそこで。

既存の世にある知識とあまり合わせすぎないこと、それと合う事に拘り過ぎないことも大切な様に思う。


まず、これを片付けてしまおう…か。

過去に書いているメモなどを(✖で消されていないもの)たまにはザッと目を通すのだけども、その時、特に最近の状態だからなのか、「過去のそれ」を自ら修正しなければならないような感覚もある。

これは、昨日記事の最後の内容とも関係しているのだけど。

11/3メモ
最後の部分のニュアンスを思い出して、「あ、やっぱり逆なんだな?」と。

”初めの認識”が表面的だった、という表現から、そちらの方が「偽り」だったのでは、という確信に近くなった。

それを前提にすると、今までに反対方向から観える捉えられるものを、”逆に言えば”などの表現をしてきたけど、それが本来かどうかは別として、現在における私の中の「矢印の方向」だという考えに至る。

少し前に「見え方が変わった、向きが変わって見えた」という様な表現を一度したのを憶えている。それ以来の実感としては二度目。

少しずつ、”←”、この認識のされ方が強まるとみた。

メモは昨日の記事を書き終えた就寝前に、思ったことを書いておいたのだけども、そこで言いたかったのは、その当初の認識(入力)・前提が違うというのを「偽り」と書いているのだけども。

詳細には、偽りというより「やってみた結果が、”入力内容”とは違うようだ」という事が近いと思う。この”行い”というフィードバックが、まだなされていなかった「コト」が返って来て、「おやおや?入力の感じとちと違うようですなぁ…」というソフトなエラーというか…。

バグではない、大幅なアップデートも今は特にはいらない。だけど確実な、違う方向へのルート開拓が少しずつでも拡がっていく、という様なところか。


そして、”二度目”という所が私的にはミソで、一度目の、初めてそれに気づく”衝撃”、二度目の重なりで気づきを強められて”冷静”を得て。冷静が入り込むことで、そちらからの”向き”を掴みやすくなり、一層その方向がクセ付けられるようになる「回路」。そう感じている。

そこから考えて、私が今から「数をこなす所」という風に考えたのが、「強まるとみた」と表現したものだった。

・・・ ・・・ ・・・ 

以前はよく触れていた「重ね」について。

ものごとは、とても衝撃的に同じような事が”重なって”自分に届くことがある。これは、自分の意識しているコト、フォーカスしている事に目が行き易いことから、というのがあるけども。

それとは逆の観方を書いていきます。(後で気づきました。昨日もこの様な事を部分的に書いてました(^_^;))

私は一昨日、丁度、オッ?と思うような重ねを経験していた。

Xのタイムライン。開くタイミングもまちまちで、「その時」に暫く流してみるという様なランダムな使い方をするのだけども、その日は午前中にまず珍しい「色」と感じてそこに意識が向いた。

山吹色。

もう少し薄い感じも含む、印象は山吹色。何かのリンク先で使われているそれだったのだけども、なぜかとても不思議な思いで暫く見ていた・・・、その感想は「リニューアルしたのかな?」というもの。(リンク先の内容は読んでいない)

そのリンク先など見たこともなく、知らないのだけども、そこに”そう感じた”。

そんな事も忘れ、午後~夕方?頃の間に、二度目は「まただ、なんだ?」と驚く、もちろん先ほどのものとは全く無関係。自分の意識が強まる。そしてまた無意識になっている時に、最後に目にし、少し調べようか…となる。(私はすぐに”五黄”と思ったけども)


このケースの時に、私が自覚していない内側、「無意識側でフォーカスしているコト」と捉える。自分がまったく気にしていないモノを、「外からの情報から掴む」という風に今までに採用しているルート。

それが、意味のある事ばかりとは言えないと思うのだけど、私が思う”学習”は、具体的なことより大きな方、ここで言えば、その回路を作ること。そちらへの意識も向けられることで、気づいていない”内部”を観ることができると思っている。(この時私は、自分の内面の状態として”参考”にした)

その回路ができていなければ、具体的なことがいくら目の前を通過しようとも、それに触れることはない。そこに反応が出ないのだから。その回路、カタチを作っておいて、そこを通ることも自然な状態にしておくことで通過が滑らかになる、という風に思っている。


一先ず書いておく。
一旦はここまで。

という様な書き方をする事が多いのだけども。そしてそれが、脳に軽い引っかかり状態を作り、それによって後に入る情報と組み合わさって、線がババッと繋がることも多くある。

その、途中から入ってくる”情報”というのは、まさかその為にそこへ飛び込んできた訳ではないと、一応否定はするけども、重なる時というのはしっかりと重なって入るので、否応なしにそれと繋げて考えるようになる。

そしてその途中に入ってきた情報により、そこまででは見えていなかった見方、開いていなかった扉が幾つかパタパタと開き、新たな展開を目にするという様な明るさを見る。

その具体的に感じた内容は、補足の意味で明日、書いていきます。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!