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cluster芸大企画話6−2

まだまだモヤモヤを大事にしながら。で「結局、大学では何を学ぶべきなんだろう」と考えていた話。

昨夜は、そろそろ「わかりやすく」とメタバース発。リアルをそのまま再現するのではなく、メタバース・ファーストの大学構想、その具体的な話について、あれやこれやと説明しながら・・心の中で。で、結局『大学では何を学ぶべきなんだろう』と考えていた。

リベラルアーツに関わる著名な識者たちからすると以下らしい。(それぞれ「誰の言葉」というのはあえて書かない)

「自分を見つめ直し、よき問いを立てられるようになってほしい」

「自分という境界を越え、社会を感じる力。客観視できる感性を育んでほしい」

「受験国語ではない、ただしい”日本語”の表現力を磨いてほしい」

「正解のためのハウツー知識ではなく、正解につなりそうな”心の引き出し”をたくさん備えてほしい」

「急速に世界が変わっていく中”何をやるか”ではなく”何ができるか”を考えよう。そして試行錯誤で学んでいこう」

「ネットだけではない本当の体験や体感で直感を磨き、謙虚になろう」

「新しい知識や技術偏重ではなく、古典を学び文脈を身につけて”論理的に分析と説得力を持って多様な可能性を伝える能力を身につけよう」

「一見意味のないようなこと、役に立ちそうもないことに関わり”いずれおのずとして結果としてついてくる視点”を大切にしよう」

「学習体験を言語する表現活動、自分自身との対話、他者との対話。その3つの要素によるメタ知識、アクティブラーニングを」

うん。まあ。自分自身はといえば、何十年前の私自身の学生時代は本当に学費を負担してくれた両親に心から詫びたいくらいに「社会人になる前のモラトリアム、最後の長期休暇!」と遊んでばかりで、学びの面では反省しかないのですが・・

(さておいて)まあ共通して識者たちが語っているのは「課題解決力ではなく問題発見」よき問いを発することができる自分を磨く場が「大学」と言っているように思える。

とはいえ・・アクティブにラーニングする前に「最低限のラーニング授業」も「前提の確認、共有」を込めてしておかないと、視覚的にも言葉通りに参加者のバックボーンが多種多様なメタバース。

また自分の進めているのは入学試験等の最低学力チェックみたいな「フィルタリングは絶対に行わない」ので、あえて必要な気もするんだよな・・とモヤモヤ。(”日本語がわからない”方々による罵詈雑言飛び交う今のSNSを見ればわかるように・・)

まあ。まだまだモヤモヤ。あえての「結論づけず留めておく」ネガティブ・ケイパビリティ状態を苦しみながら楽しみます。

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