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メタバースにおける文化雑感2024

まだまだまとまらないメタバース文化話をダラダラとダラダラと話。

・・メタバースといっても現状は何でも万能なわけでなく、例えば動物やヒトが外界を感知するための感覚、五感。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち、もっぱら「視覚」「聴覚」にしか再現度がなく、結果として肉体というリアルデバイスの「目や耳にハンディを抱える人」は没入しずらいだろうし。そもそも「腕や指を満足に動かせない方」だと今のUI的では「そもそもメタバースに入れない」かもしれない。(今後の技術発展に期待)

ただ。その代わりというか。「視覚」や「聴覚」の自由度の高さ、表現力の豊かさは現状でもリアルを軽々と超えていて。たくさんの細かいスプライト画像、3Dモデル、またはその他のCGオブジェクトを使ってシュミレートする「パーティクル」アート。そして音楽ライブやDJイベントの没入感は素晴らしいものがあるわけですが。(余談だが、なので。個人的にもデジタルアートが好きな私は「⚪︎ームラボ」や「⚪︎イキッド」の人気の展示に「並んで」または「有料」で見るほどの価値や満足感を全く感じなくなった)

そういったリアルワールドと比べてのメタバースの一部の身体制限、一方での「視覚」「聴覚」のリアルを軽々超えた拡張性、優位性。それを踏まえて。メタバースにおける文化芸術の可能性というものを『新しく考えないといけない』と思っている。

というのも。あくまで「私」の感覚だが。メタバースの表現においても、今はまだリアルワールドの延長線上や固定観念、常識にとらわれている気がしていて。デジタルツインや実際の都市や場所のありきたりな再現話はもちろん、前述の「演出としては素晴らしい」音楽ライブやDJイベントも結局はイメージの限界というか。リアルの文化との比較や影響から切り離された「独自の文化」とまでは言えないなとも思うのです(それが悪いとはいってない。むしろ、さらなる期待を込めている)

また、そもそもリアルの肉体とメタバースの魂という二元論。どんな肉体(外見)にもアバターを通じてなることができるメタバースはいわば「魂コミュニケーション」であるという考え方も、ある種、西洋キリスト教的で。東洋の個ではなく「空」的な考え方、世界認識からすると新しい世界認識として再考の余地があるかもしれないとも思うのです。

うーん。「cluster芸術大学」のために、メタバースという新世界の文化芸術、アート。その文脈を『どのように、どこを始点に構築するか』とても難しい。ただ。とても楽しい。

いわば、真っ白なカンバスに描くかのように。新雪に足を踏み出すかのように。

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