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大阪が大好きな私

いわゆる「大阪的」とされるものは兎も角、私は大阪が大好きですよ話。

住めば都というか。とかく自分が今住んでいるところを良く言って、今まで住んでいた所を「理由をつけては悪くいう」人もいるようですが。京都に転居して数年。でも私の場合はだからと言って大阪が嫌いなわけではない。

むしろ、大学卒業してからずっと。昼も夜も大阪で望んで活動しているのは、大阪に住んでいる沢山の方々に育てられてきたという感謝。そして、だからこそ当然に微力ながら少しずつ自分なりに恩返ししていきたいと考えているわけで。

とは言っても。ステレオ的に「大阪的」と言われるイメージ。お笑い(吉本)阪神タイガース、たこ焼きに串カツ等々といったものに自分の大阪的アイデンティティを感じているかと言われると【全くなくて】(友人がきたら『観光案内』くらいはしますが)また大阪商人的なこれまた「よくあるビジネスイメージ」でもなくて。

私自身はむしろ全国で二番目に寺の数が多く、中でも浄土真宗の寺が多い「宗教都市」として。歴史的に紡がれてきた「弱者、敗者に優しい」【深層的な大阪人感覚】に拠り所を得ているのだと思う。(もちろん、だからといって直接的な宗教話をしたいわけではない。あくまで感覚)

なので。そうした意図があって創られ、増幅されている「大阪的」イメージ。それをわかって(自虐的にも)ネタ的に楽しんでいる分には良いと思うのですが。たまに「同じ大阪好き」でもそうした「表層的な文脈だけで大阪を捉えたり、語っている方」を見かけると残念に思うこともあったりします。(もちろん「それはそれで」ですが)

また、そうした意味でフリペ屋はっちの店主をしているのは前述したように「弱者、敗者に優しい」大阪人感覚があって(発行者さんが弱者、敗者と言っているわけではない。念のため)斜陽だからこそ混乱している商業出版界隈。そこに巻き込まれることもなく、また劣化したSNS界隈からも距離を保って「フリーペーパー」という形で小さくても「自らの声をあげている方」を無償で応援するのは【大阪的に当たり前】というか必然なんですね。

うまく伝わっているかわかりませんが。ただこれは私自身が何より「弱者、敗者」として、見ず知らずの方々を含めた大阪に住んでいるたくさんの方々に助けられた記憶があるからの実感で。まあ。あくまでそれも「私の主観にしかすぎない」とはいえ、そんなことを言い出したら都市も地域も国も社会も様々な人の「共同幻想」(笑)

繰り返しますが。なので「大阪的」とされるものは兎も角、私は大阪が大好きなんですよ。

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